[DGG] L.マゼール指揮ベルリン放送so./ストラヴィンスキー:組曲「火の鳥」(1919年版),交響詩「ナイチンゲールの歌」

Strawinsky - Radio-Symphonie-Orchester Berlin - Lorin Maazel ‎– Der Feuervogel, Ballettsuite / Gesang Der Nachtigall, Sinfonische Dichtung

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商品コード: 1098-048p

作品名:ストラヴィンスキー:組曲「火の鳥」(1919年版),交響詩「ナイチンゲールの歌」
演奏者:L.マゼール指揮ベルリン放送so.
プレス国:ドイツ,Germany
レーベル:DGG
レコード番号:138 006 SLPM
M/S:ステレオ,stereo
枚数・大きさ:12インチ,30cm×1
評価/レコード:7
評価/ジャケット:S
レーベルタイプ:チューリップALLE内溝,Made in Germanyの刻印,フラット重量,Rights Society:BIEM,(P)なし,スタンパー/マトリクス:11A/12B(ラウンド小文字スタンパー・DGG旧タイプ),DGG録音を示す13***で始まる(含む)専用スタンパーを使用,縦2段目のLABで始まるセカンドスタンパーあり,補助マトリクス:F0/B1,ラウンドで幅広レコード番号マトリクスなし,1960年代のスタンパーによる1960/1961年頃製造分,1958年フラット盤で初リリース(当盤以前・レーベルは同じ),フラットレーベルの初期タイプ,最古レーベル・最厚プレス,更に古いマトリクス存在する,モノラル存在する(18 498 LPM),RIAAカーヴである,DGG音源のDGG製作プレス,オリジナルタイプ,original type
ジャケット:フランス三方開厚紙背黄布張,Prestige,ステレオ番号の黄色シール貼り,ベロ付きDGG型押しロゴ入り中袋,ジャケ裏:灰色,背文字:あり(黒色・黄背景),裏文字:なし(DGGロゴ),裏年号:なし,当社最古年号:不明(独ジャケの場合12-59・細字stereo),(P)(C)なし,解説は内部に印刷,写真:J.Buhs,原画/被写体:R.Saingtのイラスト,デザイン:Geoges Melin,ライナーノーツ:Y.Rioux,製作:Deutsche Grammophon Fr..,印刷:Imp. Schneider & Mary. Levallois,ステレオ番号の黄色シール付きフランス・オリジナル,フランスに赤stereoジャケットは存在せず,ドイツジャケは赤stereoの前の細字stereoが存在する,フランス・オリジナル,original in Fr.
トピックス:1957年11月ベルリン・イエス・キリスト教会スタジオにてモノラル/ステレオ録音,音響技師:Werner Wolf,プロデューサー:Wolfgang Lohse,録音監督:Wolfgang Lohse,1958年Deutsche Grammophon .Gesellschaftによりコピーライト登録・同年ALLEフラット盤・細字stereoジャケット入りで初リリース,これは1961年製造分のALLEフラット盤がフランス初出ジャケットに入るケース,マゼールのDGGでの第2弾録音,音質も非常に良い,,演奏:★★★★+,音質:★★★★+
キズ情報:水洗い洗浄済・water cleaned(静電対策付与・Anti-static measure),特にキズはないが古いプレスに付き多少のサーフェース音あり・無音ヘアラインある場合あり,1950-60年代初期までのプレスにはそれ以降のプレスよりサーフェース音が多いことを御承知いただきたい

商品詳細: マゼールはCOLOMBIA、DECCA等に録音したが、1965年からフリッチャイの後任としてこのベルリン放送so.(旧RIAS)を10年間率い、安定してDGGに録音を行う。これはベルリン放送soに就任する以前のDGGへの初期録音。1972年にはセルの死にともない後任としてクリーブランドo.の音楽監督もこなすが、やはり安定期に入る前の方が、大半の音楽家は良い仕事をする。アメリカで修行したセンスで、ベルリン放送o.の可能性を引き出そうとする姿勢がうかがえる秀演。ロリン・マゼール(1930-2014)はまだ26歳だった1957年、ドイツ・グラモフォンでカラヤンより先にベルリン・フィルとのレコーディングを開始するという異例の扱いを受けた指揮者だった。1957年2月にベルリンで行われた3種の「ロメオとジュリエット」と題する管弦楽曲集がDGGへのデビュー録音となる。これはDGGへの第2弾となる1957年11月の録音でなぜかこの録音はベルリンpo.ではなくベルリン放送so.(旧名RIAS so.)。初代首席指揮者フェレンツ・フリッチャイは1948年 - 1954年までで一度退任し、1959年に復帰、 1963年まで復帰している。1954年10月、アメリカのヒューストン交響楽団の常任指揮者に就任したためだろう。また1956年にはバイエルン国立歌劇場の音楽監督に就任している。この1955-8年の間首席指揮者が不在の状態だったベルリン放送soは力を試したい指揮者にとってはまたとない機会であった。DGGにデビューして間もないマゼールが力を示しこのオケの後釜を狙っても不思議はない。この時の活躍が功を奏してか結局1964年このオケのシェフに就任することになる。さてストラヴィンスキーを選んだ理由は不明だが大陸的なフリッチャイに対し血気盛んな32歳の若いマゼールは御大フリッチャイにはできない荒業でアピールしたのではと推測できる。初めて振ったわりにオケをきっちり鳴らし激烈な演奏を成功させた。





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