[DGG] F.フリッチャイ指揮ベルリン放送so.(旧名RIASso.) / ストラヴィンスキー:春の祭典

[ 1183-063p ] Strawinsky - Ferenc Fricsay ‎– Le Sacre Du Printemps

通常価格:¥ 2,750 税込

¥ 2,750 税込      

数量


商品コード: 1183-063p

作品名:ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」(1947年版)
演奏者:F.フリッチャイ指揮ベルリン放送so.(旧名RIASso.)
プレス国:フランス, France
レーベル:DGG
レコード番号:18 189 LPM
M/S:モノラル, monaural
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:7
評価/ジャケット:A : 下部テープにベタつきあるため保護用厚手ビニール外袋入り
キズ情報:
レーベルタイプ:【フランスでのオリジナル】---チューリップTous内溝>白LP33 1/3<, Made in Franceの刻印あり, フラット重量, 表記されたレコード番号:18 189 LPM , Price Code:なし, Rights Society:BIEM, (P)なし, スタンパー/マトリクス:032093 WS1/032094 WS (ラウンド中文字スタンパー・DGG旧タイプ), DGG録音・モノラル製造を示す03***で始まりレコード番号を含まない旧型専用マトリクス使用, カッティング担当者:イニシャルWSは誰かわかっていない, 補助マトリクス(Time code):6.5.54/6.5.54(最古と思われる), 再補助マトリクス:あり・レコード番号刻印あり・18189 ☆/18189 , 1954年5月/1954年5月製造のスタンパーを使った1954年頃製造分, 旧番号存在せず, フランスでこれより古いレーベル存在せず, ドイツ盤に>白LP33 1/3<レーベルは存在せず, フランスで最古レーベル・最厚プレスである, 旧字体マトリクスの初期分, 更に古いマトリクス存在しないと思われる, ステレオ存在せず, RIAAカーヴではない, DGG音源の仏DGG製作プレス, 工場:不明, フランスでのオリジナル, original in Fr.
ジャケット:【フランスでのオリジナル】---フランス製ツヤペラ, 2色刷りMicrosillon 33, 表記されたジャケット番号:18.189 LPM, Price Code:なし, 背文字:あり(茶色・クリーム背景・マチがなく表裏にずれる), (P)(C)なし, ジャケ裏年号:10-54, 当社入荷履歴上で最古の年号/存在が確認された年号:10/54(当ジャケットである), 印刷:J.Marx et Cie 4 impasse Ste-Felicite .Paris-Xve, これがフランスでの初年度分と思われる, フランスでこれより古いタイプ存在せず, フランスでのオリジナル, original in Fr.
トピックス:1954年3月11-13日・西ベルリン・ダーレム・イェズス・クリストゥス教会RIASスタジオ(Jesus-Christus-Kirche, Berlin-Dahlem)にてモノラル録音, 録音詳細不明, 1954年Deutsche Grammophon GmbH によりコピーライト登録・同年10月18 189 LPM(チューリップALLE内溝・□M33レーベル・フラット盤・2色刷り見開糸縫中入りツヤジャケット入り)にて初リリース, フランスでは1954年内溝>白LP33 1/3<レーベル・フラット盤で初リリース, これは1954年5月/1954年5月製造のスタンパーを使った1954年頃製造のフランス盤が1954年10月フランス製造のジャケットに入るケースでフランスで最初にリリースされた形と思われる, フランスではこのような場合が多い, フランスでのオリジナル, フランスではドイツ盤がフランス製ジャケットに入り販売される形も多く決まっていない(秩序だった取り決めがない), ステレオ再録音は存在しない, 演奏:★★★★★, 音質:★★★★+

商品詳細:「春の祭典」が理解し難い現代音楽であった時代にあって、マルケヴィチと並んで当時から積極的に取り上げていたフリッチャイ唯一のスタジオ録音。1954年である。これがDGGで最初のLP録音となった。1963年にカラヤンが取り上げるまで、DGG唯一の「春の祭典」音源だった。その後はタケノコのごとく続々と録音が続くことになる。因みにストラヴィンスキー本人と親交のあったマルケヴィチは1951年に録音している。フリッチャイは録音の前年1953年に既に「ペトルーシュカ」を録音しており、早い時期からストラヴィンスキーを取り上げていた事実には驚かされる。そして当時のDGGの録音もまたDECCAに負けない素晴らしい技術があった。1950年代初期のモノラルが実はDGG録音技術の一つの頂点だった気がする。この時期フリッチャイ自身も血気盛んで速足のテンポと機動力で自身が初代首席となったRIAso.をぐいぐいと引っ張ってゆく。そのエネルギーにDGGの古参指揮者は内心恐れていたのではあるまいか。彼が志半ばで不治の病に倒れたことに内心安堵したのは古参指揮者たちだったことは想像に難くない。録音はモノラルの1回だけ。

フリッチャイの在庫一覧へ




【特設ページへ移動】







SACD特設ページ





・公式ブログ(下の画像をクリック!)


・公式Facebook(下の画像をクリック!)