[ETERNA] K.マズア指揮ゲヴァントハウスo. ライプツィヒ放送cho.,A.シュトルテ,C.カサピエートラ(s) P.シュライアー(t) / メンデルスゾーン:交響曲全集(全5曲)

Mendelssohn, Celestina Casapietra, Adele Stolte, Peter Schreier, Kurt Masur – Sinfonie Nr.1-5

通常価格:¥ 16,500 税込

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商品コード: 1185-064t

作品名:メンデルスゾーン:交響曲(全5曲)/1番ハ短調 Op.11,2番変ロ長調 Op.52「讃歌」,3番イ短調 Op.56「スコットランド」,4番イ長調 Op.90「イタリア」,5番ニ長調 Op.107「宗教改革」
演奏者:K.マズア指揮ゲヴァントハウスo./ライプツィヒ放送cho.,A.シュトルテ,C.カサピエートラ(s)P.シュライアー(t)
プレス国:旧東ドイツ, Germany East
レーベル:ETERNA
レコード番号:826 381~
M/S:ステレオ, stereo
枚数・大きさ:12インチ,30cm×4,バラ4枚セット(1/2番はWジャケット),4 single records
評価/レコード:8/7
評価/ジャケット:A
キズ情報:
レーベルタイプ:【旧東ドイツでのオリジナル】---ED黒/銀,〇〇ST33,グルーヴガード厚,表記されたレコード番号:826 381-2/826 247/826 248,Rights Society:記載なし,(P)なし,スタンパー/マトリクス:826 381-1A/826 381-2B---以降省略(ラウンド小文字スタンパー・ETERNAの1980年代タイプ),ETERNA録音を示す8***で始まる専用スタンパー使用,補助マトリクス:E73 W NT/F73 W NT---以降省略,再補助マトリクス:A1 1A/A1A---以降省略,1973年5月/1973年6月製造のスタンパーによる1973年頃製造分---以降省略,黒/銀ツヤ初期レーベル存在せず,ED前レーベル存在せず,これより古いレーベル存在せず,4枚ともEDの厚手の最古レーベル・最厚プレスである,更に古いマトリクス存在せず,モノラル存在せず,RIAAカーヴである,ETERNA音源のETERNA製作プレス,オリジナル,original
ジャケット:【旧東ドイツでのオリジナル】---見開紙W×1+ツヤペラ×2,表記されたレコード番号:826 381-2/826 247/826 248,Price Code:24.20M/12.10M,ジャケ裏年号・Ag 511/01/73-72,最古の年号:73-72(当ジャケットである),製作:VEB Deutsche Schallplatten Berlin DDR,印刷:VEB Gotha-Druck,見開紙W×1+ツヤペラ×2で初出,これより古いタイプ存在せず,オリジナル,original
トピックス:1972年1月ライプツィヒでのステレオ録音,録音技師:Claus Strüben,プロデューサー:Reimar Bluth,録音監督:Reimar Bluth,学術的コンサルタント:Dr. Karl-Heinz Köhler,1972年VEB Deutsche Schallplatten Berlin DDRによりコピーライト登録・同年826 381-2(1/2番)/826 247(3番)/826 248(4/5番)にて初リリース,当2+1+1枚のバラ4枚が最初のプレスでオリジナル,4/5番のみ早めの1972年にリリースされた,メンデルスゾーン・エディションの為の録音でシリーズは全部で32枚存在する,その交響曲部門の全集!セット化は当社初!

商品詳細:K.マズア指揮ゲヴァントハウスo.によるメンデルスゾーン:交響曲1~5番の全5曲。1972年メンデルスゾーン・エディションの為にK.マズア指揮ゲヴァントハウスo.によって全曲録音が行われた。またそれに付随して滅多に録音されることがない若書きの「弦楽のための交響曲」も全13曲が826 242-6で同時期に発売された。このメンデルスゾーン・エディションは他に類を見ないほどの録音数を誇り、殆ど全てに近い曲が録音された。中でも5曲の交響曲はその中核を担う録音であり、クルト・マズア指揮ゲヴァントハウスo.が担当(弦楽のための交響曲も同様)。音楽以外にも詩・絵画等に才能を発揮した早熟の天才メンデルスゾーン、5つの交響曲も15~21歳の時に書かれた。当盤は32枚あるメンデルスゾーンEDのうちの一枚。当社では交響曲全5曲をバラで纏めたセットを作るのは初となる。コンヴィチュニーやスウィトナーとは少し異なるがゲヴァントハウスo.の首席指揮者1970年-1996年の間を引き継いだ伝統と革新を貫いた正統な東ドイツの指揮者である。在任期間中は同時にライプツィヒ市の楽長という職も兼任していた。ベルリンの壁崩壊に繋がったとされる1989年10月9日のライプツィヒの月曜デモにおいて、民主化を要求するデモ参加者が7万人に達し、秘密警察と軍隊の銃口が市民に向けられた際は、4ヶ月前に起きた天安門事件の二の舞になることを恐れたマズアは、東ドイツ当局に対して市民への武力行使を避け、平和的解決を要望するメッセージを発表した。その行動は当時国際的にも注目を集めた。また、ドイツ統一後の1994年5月にリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領が退任した際には、一時ドイツキリスト教民主同盟から大統領候補に擬せられたこともあった。1990年代からライプツィヒにゆかりのあるフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディの作品の研究と普及に努め、荒廃していた住居を再建した他、1991年にフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ基金を設立し、メンデルスゾーンの再評価を進めた、メンデルスゾーンへの大きな貢献を残した指揮者だった。2015年88歳で没。

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