[Le Club Français Du Disque] R.ブルダン(fl-piccolo) G.F.ヘンデル, K.シュルップ, H.ビュンテ(vn) K.リステンパルト指揮/ ヴィヴァルディ協奏曲集
商品コード: 1232-044b
商品詳細:リステンパルトのクリュブ・フランセでのヴィヴァルディには348という番号もあるがこちらは別に332番で内訳はピッコロ協2曲、1台、2台、3台Vn協が1曲ずつ計5曲。ピッコロはフルート奏者のR.ブルダンが担当、第1VnがG.F.ヘンデル。他、ザール室内o.の主力メンバーで構成。それより、ヴィヴァルディのような曲でも、リステンパルトが振れば、曲が曲としての生命感を持つ。ここが他の指揮者と決定的に異なる所。曲それぞれの特徴が際立ち、弾む曲はより弾み、沈む曲はぐっと沈む。曲があるべき姿になってゆく。それを操るのがリステンパルトの棒。1953年の夏からリステンパルトはザール室内管弦楽団の指揮者として活動を開始した。その時点でザール室内管弦楽団は16人の音楽家で構成され、その内の10人はリステンパルトと共にベルリンから移った若い音楽家だった。中ではヘンデル・カルテットのリーダーであったゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルが管弦楽団の首席ヴァイオリン奏者となった。続いてフランスの一流演奏家との共演はとりわけ実り多いものとなった。多くの演奏会、録音、交流が生まれることになった。たとえば、フルート奏者のジャン=ピエール・ランパルや彼の木管アンサンブルである〝Le Quintette à vent Français〟のメンバーたちである。ここではロジェ・ブルダンが参加。1967年12月、リステンパルトはグルベンキアン室内管弦楽団との演奏旅行でポルトガルに滞在中に心臓発作に襲われ、クリスマス・イブにリスボンの病院で死去した。ザール室内管弦楽団はリステンパルトの死という喪失を生き延びることはできなかった。リステンパルトの死後、高名なチェリスト、アントニオ・ヤニグロ(Antonio Janigro)を指揮者として迎え4年間の活動が続いたが(1968年~1972年)、中心になっていた音楽家である首席ヴァイオリン奏者のゲオルク·フリードリヒ·ヘンデルとその妻で首席チェロ奏者のベティ・ヒンドリクス=ヘンデル(Betty Hindrichs-Hendel)を1970年に自動車事故で失なうことになった。1973年にザール室内管弦楽団はザールブリュッケン放送交響楽団に吸収された。---http://en.wikipedia.org/wiki/Karl_Ristenpart より。ザール室内管弦楽団と運命共同体とも言えるLe Club Français Du Disqueレーベルは1968年に15年間の活動に幕を閉じた。
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