[SUPRAPHON] プラハQt. / ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲12番Op.96「アメリカ」, 弦楽四重奏曲14番Op.105

[ 1237-048 ] Dvořák – Smyčcové Kvartety As Dur A F Dur Americký ‎

通常価格:¥ 4,400 税込

¥ 4,400 税込      

数量


商品コード: 1237-048

作品名:ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲12番Op.96「アメリカ」 | 弦楽四重奏曲14番Op.105
演奏者:プラハQt.
プレス国:旧チェコ・スロバキア, Czechoslovakia
レーベル:SUPRAPHON
レコード番号:DV 6277
M/S:モノラル, monaural
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:7
評価/ジャケット:A
キズ情報:
レーベルタイプ:【旧チェコ・スロバキアでの国内仕様モノラル・オリジナル】---青/銀渦巻, Gramofonovy Klub ▽33, 印刷物登録番号:B-03*10141, グルーヴガード厚, Rights Society:記載なし, Price Code:G (Kčs 36-), (P)1966, マトリクス:A 3743 D A /A 3744 B A (ラウンド小文字スタンパー・SUPRAPHONタイプ), SUPRAPHON録音・モノラル製造を示すA***で始まりレコード番号を含まない専用マトリクス使用, 補助マトリクス:なし, Copyright Year Code(初リリース年を示すイニシャルレーベル登録年号で1954–1964の間存在する):Ⅷ (1961年を示す), Manufacturing Date Code (実際に製造された年/月を示す・ない場合はCopyright Year Codeと同年):68.1 (1968年1月を示す), 1960年代製造のスタンパーを用いた1968年1月製造分, 旧番号存在せず, フラット盤存在せず, クリームレーベル存在せず, これより古い国内仕様モノラルレーベル存在せず, 国内仕様のモノラルの最古レーベル・最厚プレスである, 更に古いマトリクス存在する, ステレオ存在する, RIAAカーヴである, SUPRAPHON音源のSUPRAPHON制作プレス, 国内仕様モノラル・オリジナル, original for mono for domestic
ジャケット:【旧チェコ・スロバキアでの国内仕様モノラル・オリジナル】---折返両面紙ペラ, Gramofonovy Klub 1968, ジャケットの印刷物登録番号:B-03*10729, 表記されたジャケット番号:DV 6277, Price Code:なし, 背文字:なし(初期の証拠), ジャケ裏年号:なし, (P)(C)なし, チェコ語表記・国内仕様, 当社入荷履歴上で最古の年号/存在が確認された年号:不明(年号記載ないが当ジャケットである), 製作:Supraphon A. S., 印刷:不明・チェコ製, これより古い国内仕様存在せず, 国内仕様モノラル・オリジナル, original for mono for domestic
トピックス:1966年3月30日/4月4日プラハ・SUPRAPHON・ドモヴィナ・スタジオ('Domovina' Studio)でのモノラル/ステレオ録音, 録音技師:Josef Piatz, プロデューサー:Miloslav Kuba, 編集/カッティングマスター:Jaroslav Zach, 1968年Supraphon A. S.によりコピーライト登録・同年SUPRAPHONから国内仕様:DV 6277/SV 8358, 輸出仕様:SUA 10816/SUA ST 50816, これは国内仕様のモノラルでDV 6277(当装丁)にて初リリース, プラハQt.は1973年12月-1977年4月プラハにてドヴォルザークの弦楽四重奏曲の全曲録音をDGGに行ったがこれは唯一の全曲録音以前の単独録音である, 1965年以前はプラハ・シティQtと呼ばれた団体だが当ジャケット裏はプラハ・シティQtと印刷されている, この2曲は西側でも発売され1970年頃仏CBS系:S 75729・1967年頃独Supraphon:104 815(DGGプレス)でもリリースされた

商品詳細:プラハQt.は1956年にプラハ交響楽団の首席ヴァイオリニスト、ブジェティスラフ・ノヴォトニーの提案により結成された団体。初代メンバーは第1Vn:ブジェティスラフ・ノヴォトニー、第2Vn:?・リヒター,Va:?・シマチェック、Vc:ズデニェック・コニチェクの4人。1957年に第2Vnがカレル・プジヴィルに変更、1960年にVaがヤロスラフ・カロルフスキーに変更された。この録音メンバーはノヴォトニー/プジヴィル/カロルフスキー/コニチェクで1970年にVaが再度リュボミール・マリーに変更になる間である。リーダーのブジェティスラフ・ノヴォトニーはラディスラフ・チェルニーの教え子で、1920年ノヴォトニーが同名のプラハQt.を結成している。そこに1955年まで在籍していた。1956年時点でノヴォトニーは全く新しく同一名称のプラハQtを立ち上げた訳である。この時点で旧プラハQt.はまだ存続していたので新プラハQt.は当初プラハ・シティQt.の名称であった。古いSUPRAPHONのレコードにはプラハ・シティQt.と印刷されたものがあったはずである。1965年になって旧プラハQt.は解散した為、そこからプラハQt.と名乗ることになった。ノヴォトニーはどちらの団体とも関係があるが、実質新団体のリーダーであり、新旧プラハQtは別の団体である。以降、新プラハQt.は2000年近くまで30年以上の活動を続けた。録音は1963年からでモーツァルト、ベートーヴェン、ハイドン等定番の曲を録音していたが、プラハQt.が世界的に知られるきっかけとなったのは1973年12月-1977年4月プラハで録音されたドヴォルザークの弦楽四重奏曲の全曲録音である。実はプラハで録音されたにも関わらずこの全曲録音はDGGからリリースされ、SUPRAPHONは未発売という事態が起こった。理由は不明だがDGGが資金援助を行ったと推測できる。チェコでは自国のメインとなるドヴォルザークの弦楽四重奏曲の全曲録音がまだ同一団体による録音がなく、それがチェコ初の(世界初と思われる)全曲録音であった為に、不思議に思った次第である。さてこれはその全曲録音以前の1966年頃に単独録音されたものである。単独録音はこの2曲だけである。自国ドヴォルザークの音楽をよく理解した理想的な演奏であり、スラブ色が適度に発揮され、そのあたりの完成は正に独壇場である。チェコの団体としては辛口タイプになるが4人均等タイプで説得力は大きいものがある。

プラハQtの在庫一覧へ




【特設ページへ移動】







SACD特設ページ





・公式ブログ(下の画像をクリック!)


・公式Facebook(下の画像をクリック!)