商品コード:1241-059p[MELODIYA] B.ダヴィドヴィチ(pf) / ショパン:14のワルツ
商品コード: 1241-059p
商品詳細:ベラ・ダヴィドヴィチ(1928-)は、アゼルバイジャンの首都バクー生まれのユダヤ系。バクー音楽院を経て1939年よりモスクワに移ってモスクワ音楽院ヘ進んだ。1950年、高名なヴァイオリン奏者のユリアン・シトコヴェツキーと結婚し夫人となり、息子ディミトリー・シトコヴェツキーを設けた。息子ドミトリー・シトコヴェツキーもヴァイオリニストである。イグムノフから直接教えを受けた最後の弟子であった。イグムノフ亡きあとはフリエール(1937年~モスクワ音楽院教授)からも教えを受けている。ロシアでも名だたる名手であったダヴィドヴィチ。まだ学生だった1949年にワルシャワの第4回ショパン国際コンクールでハリーナ・チェルニー=ステファンスカと優勝を分け合あった。この時期のダヴィドヴィチの演奏は凄まじかったと佐藤泰一氏はその著書「ロシアピアニズム」の中で述べている。1950年にはモスクワ音楽院の教授になり30年以上教授職にあった。しかしユダヤ系である境遇は悲惨なものであったと彼女は語っている。1958年に夫が亡くなり、多くの活動が制限されたらしい。1978年にアメリカ合衆国に亡命して米国籍を取得。1982年よりニューヨークのジュリアード音楽院で教鞭を執った。米国でのダヴィドヴィチに対するは評価は非常に高く、米国のテレビでたびたび演奏会が放映されたようである。 ロシアでのキャリアを捨ててニューヨークに居を構えたダヴィドヴィチ。PHILIPSと契約し、新たに録音を世に出した。アメリカでは無名だった彼女が、"フランツ・リストの再来"と絶賛されたことのあるラザール・ベルマンが「私より彼女のほうがショパンは上手い」と発言して注目を集めたが、ダヴィドヴィチは、ベルマンとはキャリアが違う格上の大物である。2000年を過ぎても録音を出し続け、80歳でロシアに演奏旅行に!これは1963年頃の旧ソ連での録音でモノラルのみ発売された。数あるワルツ集だがダヴィドヴィチが得意としたショパン。強い打鍵は使わず何所までも優美に仕上げた演奏でいつ聴いても心地好い気分を運ぶ定番的な1枚である。1963年にプレ・メロディア後期レーベルで初リリースとされる番号だがプレ・メロディアレーベルの入荷は1度もない。
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