[PHILIPS] L.マゼール指揮ベルリン放送so. / モーツァルト:交響曲40番K.550, 交響曲41番K.551「ジュピター」

[ 1243-025 ] Mozart - RSO Berlin, Lorin Maazel – Symphony No. 40 In G Minor, K.550 / Symphony No.41 In C, K.551 "Jupiter"

通常価格:¥ 3,300 税込

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商品コード: 1243-025

作品名:モーツァルト:交響曲40番K.550 | 交響曲41番K.551「ジュピター」
演奏者:L.マゼール指揮ベルリン放送so.
プレス国:フランス, France
レーベル:PHILIPS
レコード番号:802 756 LY
M/S:ステレオ, stereo (Gravure Universelle)
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:8/7
評価/ジャケット:A
キズ情報:
レーベルタイプ:【フランスでのオリジナル】---赤白/銀4本線内溝センター白, 外周1cmに低い盛上(土手に近い), 枠内3時に銀色でMade in France, 33 1/3 Gravure Universelle, Trésors Classiques, グルーヴガード厚手重量, Price Code:Ⓐ , Rights Society:DP, (P)なし, スタンパー/マトリクス:PHI AA 802 756 1Y 1 670 Ⓟ1967 /PHI AA 802 756 2Y 3 670 (ラウンド小文字スタンパー・仏PHILIPSタイプ), PHILIPS規格のステレオ製造を示すPHI AA***で始まりレコード番号を含むフランス型専用スタンパー使用, 670はPHILIPSグループの工場を示すとともにカッティングマスターがPhonodisc B.V.による事を示す, 補助マトリクス:112 03/12 D11 , 再補助マトリクス:B3A 1A/A3A1, 1960年代製造のスタンパーによる1967年頃製造分, 旧番号存在せず, HI-FI STEREOレーベル存在せず, フランスでこれより古いステレオレーベル存在せず, フランスでのステレオ最古レーベル・最厚プレスである, 更に古いマトリクス存在せず, フランスにモノラル存在せず, RIAAカーヴである, カッティング・マスター:Phonodisc B.Vの技師, PHILIPS音源の仏PHILIPS制作プレス, 工場:CIDIS.Phonogram, Antony, フランスでのオリジナル, original in Fr.
ジャケット:【フランスでのオリジナル】---三方開両面厚紙背黒布貼, Gravure Universelle Collection Trésors Classiques, 表記されたジャケット番号:802 756 LY, Price Code:なし, レコードホルダーに蓋付(PHILIPS型押ロゴ付・初期タイプ), 背文字:あり(金色型押・黒布背景), ジャケット裏年号:なし, (P)(C)なし, 当社入荷履歴上で最古の年号/存在が確認された年号:不明(年号記載ないがフランスでは当ジャケットである), 製作:Société Phonographique Française Polydor S.A., 印刷:Imprimerie S.P.P.Louviers, フランスに旧番号存在せず, フランスでのオリジナルと思われる, フランスでのオリジナル, original in Fr.
トピックス:【40/41番は当社初入荷】---1966年8月ベルリンでのモノラル/ステレオ録音, 録音詳細不明, オランダでは1967年N.V. Philips Phonografische Industrieによりコピーライト登録・同年PHILIPS:802 756 LY(赤/銀3本線土手レーベル)にて初リリースと思われる, オランダでモノラルが発売されたか不明, フランスでは1967年頃仏PHILIPS:802 755 LY(当装丁)にてステレオのみ初リリースと思われる, 英国では英PHILIPS: AL 3610/SAL 3610(アズキ/銀3本線レーベル)で初リリース→6856 026で再リリース(蘭/仏にあるか不明), フランスはステレオのみの発売と思われる, 40/41番は当社初入荷, マゼールは38/39番が802 755 LYで出ている

商品詳細:ロリン・マゼール(1930- 2014)は、フランス・パリ近郊、ヌイイ=シュル=セーヌ生まれの指揮者・ヴァイオリニスト・作曲家。ピッツバーグ大学卒業。生後ほどなくしてアメリカに一家で移住し、5歳の頃からヴァイオリンを、7歳の頃から指揮の勉強を始めた。8歳の時にニューヨーク・フィルハーモニックを指揮して指揮者デビューを飾り、以後9歳でレオポルド・ストコフスキーの招きでフィラデルフィア管弦楽団を指揮、11歳でアルトゥーロ・トスカニーニに認められNBC交響楽団の夏季のコンサートを指揮した。10代半ばまでには全米のほとんどのメジャー・オーケストラの指揮台に上がっている。早熟の天才音楽家であった。DECCA、EMIと順調にメジャーレーベルに録音を残し、1965年にはベルリン・ドイツ・オペラとベルリン放送交響楽団(旧西ベルリン、現在はベルリン・ドイツ交響楽団)の音楽監督に、フェレンツ・フリッチャイの後任として就任。大出世として驚かれ、1958年頃からDGGに招かれ多くの録音を行い、1965年頃からPHILIPSに移籍、PHILIPSにベルリン放送so.との録音をもたらした。1980年からボスコフスキーの後を次いでウィーンフィル・ニューイヤーコンサートの指揮者を務めるなど(1980年から1986年までの毎年・それ以後も度々出演して、生涯登場回数11回は、ボスコフスキー、クラウスに次ぐ史上第3位。レギュラー指揮者としては現在のところ最後)、順調な指揮者人生を極めつつあった。その為カラヤンの後任であるベルリンpo.の時期芸術監督はマゼールだろうと誰もが信じていたが、現実はクラウディオ・アバドに決まった。そのあたりからマゼールの活動に陰りが出る。これは1960年代にベルリン放送so.と録音した多くの録音の一つである。バッハの宗教作品などの大作の録音が始まった時期である。飛ぶ鳥を落とす勢いがあった時期の録音である。フリッチャイが育ててたベルリンpo.で意欲的録音を多く行い、名実ともに大指揮者として階段を上っていた時期のモーツァルト交響曲で最後の2曲。1950年代のような重厚さはないが、軽快で端正に展開する指揮は若きエースに相応しくない落ち着いた演奏で、過度なフォルテを用いず、終始抑えたスタイルである。やや物足りさを感じるが、若さで押し切る演奏ではなく、年配の指揮者のような抑制の効いた演奏にはやや驚いた。良い意味で節度のある大人の演奏と言える。

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