[ETERNA] ベルリンQt. (W.D.バッツドルフ, K.ペータース(vn) K.H.ドムス(va) M.プフェンダー(vc)) / ハイドン:弦楽四重奏曲Op.64-1, 2

[ 1251-042tc ] Haydn, Berliner Streichquartett – Streichquartette Op. 64 Nr. 1 C-dur · Nr. 2 H-moll

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商品コード: 1251-042tc

作品名:ハイドン:弦楽四重奏曲第63番ハ長調Op.64-1, Hob.III-65 | 弦楽四重奏曲第64番ロ短調 Op.64-2, Hob.III-68
演奏者:ベルリンQt. (W.D.バッツドルフ, K.ペータース(vn)K.H.ドムス(va)M.プフェンダー(vc))
プレス国:旧東ドイツ, Germany East
レーベル:ETERNA
レコード番号:827 657
M/S:ステレオ, stereo
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:7/6
評価/ジャケット:A
キズ情報:B面12時に極小8+小7回でるシミあり
レーベルタイプ:【旧東ドイツでのオリジナル】---青/黒, STEREO ○○ST33, グルーヴガード厚, Rights Society:AWA, (P)なし, スタンパー/マトリクス:827 657-1B/827 657-2D (ラウンド小文字スタンパー・ETERNA後期タイプ), ETERNA録音を示す8***で始まりレコード番号を含む専用マトリクス使用, 補助マトリクス(Time code):K83 CU/L83 E NT, 再補助マトリクス:2H/A1B2 C, 再々補助マトリクス:CS-B-Ⅱ/-, STO---初期マトリクス:なし/なし, 旧番号/V字ステレオ存在せず, 黒/銀レーベル存在せず, 1983年10月/1983年11月製造のスタンパーによる1983年製造分, これより古いレーベル存在せず, 最古レーベル・最厚プレスである, 更に古いマトリクス存在すると思われる, 更に古いTime code存在するか不明, モノラル存在せず, RIAAカーヴである, カッティングマスター:イニシャルENCはIngrid Trumpfを示す/CUは不明, ETERNA音源のETERNA制作プレス, 工場:VEB Deutsche Schallplatten Potsdam-Babelsberg, auguststr.45, オリジナル, original
ジャケット:【旧東ドイツでのオリジナル】---ED両面紙ペラ, ETERNA EDITION, 表記されたジャケット番号:827 657, Price Code:12.10 M, 背文字:あり(黒色・白背景), (P)(C)なし, ジャケ裏年号:Ag 511/01/83/A, 当社入荷履歴上で最古の年号/存在が確認された年号:Ag 511/01/83/A(当ジャケットである・一致), 製作:VEB Deutsche Schallplatten Berlin DDR, 印刷:VEB Gotha-Druck, これより古いタイプ存在せず, オリジナル, original for stereo
トピックス:1981年ドレスデン・ルカ教会スタジオ( Studio Lukaskirche, Dresden)でのステレオ録音, 録音技師:Eberhard Hinz, プロデューサー:兼任, 学術的コンサルタント:Prof. Dr. Gerd Schönfelder, 1983年VEB Deutsche Schallplatten Berlin DDRによりコピーライト登録・同年ETERNA:827 657(当装丁)にて初リリース, メンバー:ベルリンQt.(W.D.バッツドルフ, K.ペータース(vn)K.H.ドムス(va)M.プフェンダー(vc))・バッツドルフ以外はズスケQt.のメンバー, ベルリンQt.はハイドンのOP.64の6曲を3枚のLPに録音・827 465/827 657/827 808でリリースされた

商品詳細:1962年コンヴィチュニーの推薦によりベルリン・シュターツカペレのコンサートマスターに就任したカール・ズスケはライプツィヒを離れベルリンに転居する。ベルリン・シュターツカペレのメンバーを集めて1965年ベルリンで発足したズスケQt.は、ベルリン国立歌劇場の正式派生弦楽四重奏団としてモルビッツァーQt.からその座をバトンタッチされ、ベルリンで活動を始める。しかしズスケは1977年に何を思ったのかゲヴァントハウスo.の新しいコンサートマスターに就任。ゲルハルト・ボッセの後任である。同年ゲヴァントハウスQt.のリーダーの座をやはりゲルハルト・ボッセから任された。その為ズスケはズスケQt.を解消。単身ライプツィヒに戻ることになる。その際ズスケQt.のリーダーの座をヴェルフ=デッィター・バッツドルフに譲り、事実上終了する。そこからズスケQt.の後継団体としてベルリン弦楽四重奏団に名称変更。残り3人はそのままベルリンQt.に残留した。但しベートーヴェンの弦楽四重奏曲の残りス全てを録音するため、レコード上で少なくとも1980年までズスケQt.は存在した。日本ではズスケQt.をベルリンQt.と称していたが、それは時の文化省から海外公演などで対外的に使用を許可された名称でETERNAではズスケQt.をベルリンQt.としたことはない。但しOp.59「ラズモフスキー3曲・2枚組」のみ輸出仕様が製作され、そこにはベルリンQt.と表記されていた。徳間音工が日本盤でベルリンQt.としていたのは対外的名称を使用していた為である。ETERNAでもヴェルフ=デッィター・バッツドルフにリーダーが移ってからはジャケットにベルリンQt.と表記している。1977年ベルリンQt.がベルリン国立歌劇場の正式派生弦楽四重奏団になり、現在まで続いている。但し現在はリーダーのバッツドルフ以外は全員交代し、ズスケQt.の名残はなくなった。ベルリンQt.はベルリンで活動を続け、来日も多い。これがベルリンQt.になっての最初の録音である。ズスケQt.と比べ極端に録音は少なくなった。ハイドンのOp.64が3枚で6曲と、1977年に分かれたゲヴァントハウスQt.(ズスケがリーダー)と1985年にデジタルでメンデルスゾーン:弦楽八重奏曲を共演している。それ以外でETERNAに録音はないようで、仏ACCORDに「シューベルト:1824年の作品集」で1曲参加している。ズスケ以外3人は同じメンバーだが録音に関して当局の対応には大きな違いがみられる。3人がズスケQt.のメンバーだけに完全な別団体とは言い切れない。尚この3人は1980年までズスケQt.としてベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集完成に向けて録音していた。いわば3年間は二足の草鞋を履いていたことになる。ベートーヴェンの録音では完全なズスケQtの音を出している。ハイドンだけ全く違うことなどあり得ない。曲が違うので比較は困難だが、1981年という時代を鑑みると最高レベルの演奏に間違いはない。しかしズスケQtの音が100%感じられないのは筆者だけではあるまい。元リーダーがあまりに偉大だと、元リーダーが去った後の落胆が実際以上に大きく感じられてしまうのは致し方ないことなのだろう。

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