[MGM] F.ジャキノゥ(pf) A.フィストゥラーリ指揮フィルハーモニアo. / リムスキー・コルサコフ:Pf協奏曲 嬰ハ短調, リスト:怒りの日(ディエス・イレ)の主題に基づく死の舞踏, ドホナーニ:きらきら星変奏曲
商品コード: 1257-050
商品詳細:ファビエンヌ・ジャキノゥ(1927-2016)はパリ生まれの女性ピアニスト。ニーダーマイヤー学校に入学し、ヴィクトル・ストウブのピアノ・クラスに入学し、その後サンティアゴ・リエラのピアノ クラスに入学した。 1914年にパリ音楽院で一等賞を受賞。11 歳でソルフェージュ楽器で 2 番目のメダルを獲得した。1942 年にイヴォンヌ・ロリオと同じ年に 2 位を獲得し、翌年、15 歳でジャン クロード・エングルベール、ジャン・ミッシェル・ダマーズ、そして再びイヴォンヌ・ロリオと並んで 1 位を獲得した。それ以来、彼女の国際的なキャリアが急速に開かれる。1946 年 2 月 5 日、彼女はスイスのジュネーブ 音楽院で、ベートーベン、シューマン、ショパン、リスト、ドビュッシーなどの作品でコンサートを行った。 2月11日、Radio Sottensで、Orchester de la Suisse Romandeと共演し、その後、イヴ・ナットのピアノ教室に参加。1951年4月、パリでアンリ・ボーの指揮するコロンヌ管弦楽団と共に、フランスでピアノ協奏曲を初演した。1953 年、26 歳のとき、彼女は既にヨーロッパとアフリカ、特にマドリード・シンフォニカ オーケストラとスペインでコンサートやリサイタルを行っていた。1955年、彼女は今度は南米に行き、ブラジル、メキシコ、コロンビア、グアドループ、西インド諸島でコンサートを行う。12 月 15 日にハイチで演奏した後、プエルトリコに行き、ドミニカ共和国でのツアーを終えた後、1956 年 1 月初旬に北米で演奏した。音楽評論家たちは、それらの演奏の繊細さと繊細なタッチに敬意を表した。 そして彼女のテクニックの成熟した完成度を評価した。1950年代に英PARLOPHONEに数枚の協奏曲LPを残した。それらとは別に1950年代仏Ducretet Thomsonに少なくとも4枚の10"を録音しており、全て10"である。内3枚はリストの作品でその中の2枚は巡礼の年~数曲を抜粋したものである。リストは彼女のお気に入りだったのだろう。パリ音楽院スタイルを持ったピアニストで、リストもこのようにゆったりと抒情的に演奏されると、ショパンなどと同等に愉しむことが出来る。日本では殆ど知られないままとなったファビエンヌ・ジャキノゥをリスト弾きと断定することはできない。シューマンなどの録音もあり、そちらも評価が高い。28歳の時に突然演奏活動を中止してから長い沈黙の後、1980年代になって突然リサイタル盤を発売し驚かせたピアニストである。長い間パリに住んでいたが、ギリシャでも生活し、頻繁に旅行をして、夫の故国であるギリシャに移住し2016 年 8 月 26 日、88 歳でアテネの邸宅で亡くなった。これは当社でも初入荷の英国での超貴重な録音。フィストラーリの指揮で3曲を録音している。英国と米国ではリムスキー・コルサコフとリストの2曲が10"で発売された。フランスではそこにドホナーニを加えた3曲入りの12"として発売された。英国での2枚の10"計4曲のF.ジャキノゥ(pf)A.フィストゥラーリ指揮の録音~R.シュトラウス:ブルレスケを除いた3曲を12"×1に纏めた12"盤でこれは過去に入荷のない超希少盤!
ジャキノゥの在庫一覧へ
