[OPUS] L.ライテ指揮スロバキアpo. / モーツァルト:交響曲36番K.425「リンツ」, 交響曲31番K.297「パリ」

[ 1266-015n ] Mozart, Ľudovít Rajter, Slovak Philharmonic Orchestra – Symphonies Linz & Paris

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商品コード: 1266-015n

作品名:モーツァルト:交響曲36番K.425「リンツ」 | 交響曲31番K.297「パリ」
演奏者:L.ライテ指揮スロバキアpo.
プレス国:旧チェコ・スロバキア, Czechoslovakia
レーベル:OPUS
レコード番号:9110 0258
M/S:ステレオ, stereo
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:8/7
評価/ジャケット:A
キズ情報:
レーベルタイプ:【旧チェコ・スロバキアでのオリジナルタイプ】---水色/黒, 12時に○○33 STEREO, 6時にMade in Czechoslovakia(逆さ文字), グルーヴガード厚, Rights Society:BIEM, (P)1974, 表記されたレコード番号:9110 0258, Price Code:Kčs 36, –, スタンパー/マトリクス:E 921 K A/E 922 O B (ラウンド小文字スタンパー・SUPRAPHONタイプ), チェコ語表記・国内仕様だが輸出仕様はない, OPUS録音ステレオ製造を示すE***で始まりレコード番号を含まない専用マトリクス使用, 補助マトリクス:02/5, Copyright Year Code(初リリース年を示すイニシャルレーベル登録年号で1954–1964の間存在する):なし, Manufacturing Date Code (実際に製造された年/月を示す・ない場合はCopyright Year Codeと同年):81.1(1981年1月を示す), 1981年1月製造のマトリクスを用いた1981年の製造分, 旧番号存在せず, これより古いレーベル存在せず, フラット盤存在せず, 最古レーベル・最厚プレスである, 更に古いマトリクス存在するか不明, モノラル存在せず, RIAAカーヴである, OPUS音源のOPUS制作SUPRAPHONプレス, オリジナル, original
ジャケット:【旧チェコ・スロバキアでのオリジナル】---両面紙ペラ, OPUS渦巻ロゴ, 表記されたジャケット番号:9110 0258, Price Code:Kčs 36, –, 背文字:あり(黒色・白背景), (P)1973(C)なし, 3ヵ国語表記の輸出仕様, 当社入荷履歴上で最古の年号/存在が確認された年号:不明(年号記載ないが当ジャケットである・実際には1981年製造), 製作:Opus a.s., 印刷:Grafobal n.p. Skalica, これより古いタイプ存在せず, OPUSには国内仕様/輸出仕様の区別はない, オリジナル, original
トピックス:1973年頃スロバキア・Opus Studio, PezinokとBratislava Castle Concert Hall・でのステレオ録音, 録音詳細不明, 1973年頃Opus a.s.によりコピーライト登録・同年OPUS:9110 0258(当装丁)にて初リリース, 1973年~1981年頃まで同一番号・同一レーベルでプレスが続いたと思われる, 1973年分と1981年分の見分けは付かない, 1981年製造分でもかなり厚手のプレス, 静かで穏やかな演奏, 演奏:★★★★+, 音質:★★★★+

商品詳細:1970年代に入ると英・仏・独のオーケストラの圧倒的優位性は小さくなり、欧州中のオケは向上し均質化していった。これは1973年の録音、まだ1つの国だった時のスロバキアpo.、チェコ・フィルとは異なる、もう少し陽性の表情を持っているようだ。オケの向上は、そのまま協奏曲・室内楽等の向上にも繋がっていく。モーツァルトこそ小規模ローカルオケが、その存在感を示せる大切な曲。東欧らしさを失っていない複雑な色合いを持つ。指揮者ルドヴィート・ライテ(1906-,2000.)はドイツ系ハンガリー人の両親の元、オランダに生まれた。一家は南ドイツ、ハンガリーと引っ越し、スロバキアのブラチスラヴァに落ち着く。父親のラヨシュも指揮者でウィーンで、クレメンス・クラウス(指揮)、アレクサンダー・ヴンデラー(管弦楽指揮)に師事。当時、父はクレメンス クラウスのアシスタントを1933 年まで務めていた。ルドヴィート・ライテはウィーンで学んだ後、1​​929 年にリスト フェレンツ ゼネムヴェセティ フォイスコラに移り、エルンスト フォン ドホナーニに師事。1935年、ブダペストのハンガリー放送管弦楽団の初代指揮者に就任。彼はこの活動を 1945 年まで続けた。また、ブダペストの音楽アカデミーの教授も務める。この間、ライテは主要な外国のオーケストラから数多くの招待を受けている。ベーラ・バルトークとゾルタン・コダーイの数多くの作品が、彼の指揮の下で初演された。1946年、ライテはチェコスロバキアに戻り、1949年までブラチスラヴァのチェコスロバキア放送管弦楽団のチーフとして働いた(1961年まで)。1949年、ヴァーツラフ・ターリヒと共にスロバキア・フィルハーモニー管弦楽団の創設者となり、後に最初の指揮者となった。スターリン時代に(1950年代の初め)、当時の共産党支配者にとってライテは十分に政治的利用できる指揮ではなく、彼がスロバキア・フィルハーモニー管弦楽団の首席に任命されたのは、1953年(スターリンの死後)になってからである。1968年、彼はチェコスロバキア放送o.に戻り、1976年に首席指揮者として引退するまで務めた。録音は少ないが実力のある指揮者である。国際的な名声を得ることなく2000年にブラチスラヴァで亡くなった。ライテのスタイルはオケをとことん鳴らしこむバリバリのスタイルではない。静かに、しかし快活に自然な音楽を奏でることに専念した指揮者である。

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