商品コード:1312-058p[DGG] J.v.カーロイ(pf)/ ラフマニノフ:Pf協奏曲2番, 前奏曲「鐘」 他
商品コード: 1312-058p
商品詳細:1949年7月の古い録音で1952年DGG~18 053 LPMという番号で同一カップリングにて初リリースされた。DGGのLPX---シリーズは1958年から始まるシリーズでこれまでのものを見ると10"×2枚を1枚に纏めLPX---で発売されたケースが多かったが、今回は旧番号も12"であり、同一カップリングであることから必ずしも10"とは関係がないようである。但し古い音源がLPX---で出た時からRIAAカーヴになった可能性が高い。ユリアン・フォン・カーロイ( 1914 - 1993)はオーストリア=ハンガリー帝国領ルションツ(現在スロヴァキア領ルチェネツ)の生まれ。 幼少期より地元で有名なオルガニストだった父から音楽の手ほどきを受け、12歳の時にブダペストで演奏会を開いてバルトーク・ベーラの知己を得、ヴァロー・マルギットの薫陶を受けることとなった。その後、1926年にミュンヘンでヨーゼフ・ペンバウアー、1927年にライプツィヒでマックス・フォン・パウアーに師事し、1931年にパリでアルフレッド・コルトーに師事。1932年から1934年までフランツ・リスト音楽院のドホナーニ・エルネーの下で研鑽を積んだ。演奏活動は修業時代から行っており、1929年にはロンドンに演奏旅行に行って成功を収め、その翌年にはフョードル・シャリアピンの伴奏者としてロンドンを再訪している。フランツ・リスト音楽院を卒業した後はヨーロッパの主要都市でコンサートを重ねて名を上げ、1951年にはカーネギー・ホールでデビューを飾った。1932年の第2回ショパン・コンクール第9位入賞。 1933年の第1回フランツ・リスト・ピアノ・コンクール(現在・ブダペスト国際音楽コンクール)でリスト賞を受賞している。1956年のハンガリー動乱の際にドイツへ亡命し、同年にはドイツ国籍を取得した。DGGには1940年代から録音がある。1972年からはヴュルツブルク音楽大学で教鞭を執った。ミュンヘンにて死去。ドイツとフランスの両方の良いところを身に着けた実力派。リストを得意としていた。ショパンは勿論ドビュッシーまでレパートリーを持つ技巧派でもある。地味に感じるが内省的な深みのあるスタイルでウィルヘルム・シュヒターとショパン: ピアノ協奏曲などの録音もある(EMI系)。ルバートは控えめながら早いパッセージも難なくこなす上手さを持つ。1950年代にはドイツ圏で大いに活躍した。ロマンチックなスタイルだがステファン・アスケナーゼより現代感覚を持ったピアニスト。DGGからは信頼を得ていたピアニストだった。
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