商品コード:1312-058p[DGG] J.v.カーロイ(pf)/ ラフマニノフ:Pf協奏曲2番, 前奏曲「鐘」 他

[ 1312-058p ] Rachmaninoff, Julian Von Karolyi, Münchner Philharmoniker, Hans Rosbaud – Klavierkonzert C-moll Op.18



通常価格:¥ 4,400 税込

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商品コード: 1312-058p

作品名:ラフマニノフ:Pf協奏曲2番Op.18 | 幻想的小品集 Op.3~第2曲 前奏曲Op.3-2「鐘」, 10の前奏曲Op. 23~第5番 ト短調「アラ・マルチア」Op.23-5
演奏者:J.v.カーロイ(pf)H.ロスバウト指揮ミュンヘンpo.
プレス国:ドイツ, Germany
レーベル:DGG
レコード番号:29 254 LPX
M/S:モノラル, monaural
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:7
評価/ジャケット:A
キズ情報:
レーベルタイプ:【ドイツでの再版】---チューリップALLE内溝, ▽M33 , フラット重量, Rights Society:BIEM, (P)なし, スタンパー/マトリクス:29254 A Ⅱ/29254² B (ラウンド中文字スタンパー・DGG旧タイプ), DGGモノラル製造を示す29***で始まりレコード番号を含まないドイツ型ドイツ専用マトリクス使用, 補助マトリクス(Time Code):J 8 Y/K 8 U, 再補助マトリクス:面割のラウンドで幅広レコード番号あり・29 254 A/29 254 B, 両面にMade in Germanyの刻印, カッティング担当:不明, 1958年9月/1958年10月製造のスタンパーによる1958年頃製造分, 同一内容の旧番号存在する(1952年分), 旧番号に濃山吹色 >白LP33 1/3< レーベル存在する, 最古レーベル・最厚プレスではない, 更に古いマトリクス存在する, ステレオ存在せず, RIAAカーヴであると思われる, DGG音源のDGG製作プレス, 製造:Hannover旧工場(Deutsche Grammophon Gesellschaft Pressing Plant Hannover・Werk I), ドイツでの再版, re issue
ジャケット:【ドイツでの再版】---両面ツヤペラ, 中央上の窓は空, 表記されたジャケット番号:LPX 29 254 , Price Code:なし, 背文字:あり(黒色・クリーム背景・上黄), (P)(C)なし, ジャケ裏年号:10/58, 当社入荷履歴上で最古の年号/存在が確認された年号:52(当ジャケットではない), 製作:Deutsche Grammophon Gesellschaft , 印刷:記載なし・ドイツ製, 同一内容の旧番号に1色刷り見開中入ジャケット存在する, ドイツでこれより古いジャケット存在する, 当番号ではジャケ裏10/58が最初と思われる, ドイツでの再版, re issue
トピックス:【再版だが入荷2度目の希少タイトル!】---1949年7月ドイツ・ミュンヘンでのモノラル録音, 録音詳細不明, 1952年Deutsche Grammophon Gesellschaftによりコピーライト登録, DGG:18 053 LPM(チューリップALLE内溝・濃山吹色 >白LP33 1/3< レーベル・フラット盤・1色刷り見開中入ジャケット入り)にて初リリース, 同一カップリングで1958年頃29 254 LPX(当装丁)に変更された(ここからRIAAカーヴと思われる), 18 053 LPMは当社未入荷の希少タイトル!29 254 LPXも当社入荷2度目の希少タイトル!

商品詳細:1949年7月の古い録音で1952年DGG~18 053 LPMという番号で同一カップリングにて初リリースされた。DGGのLPX---シリーズは1958年から始まるシリーズでこれまでのものを見ると10"×2枚を1枚に纏めLPX---で発売されたケースが多かったが、今回は旧番号も12"であり、同一カップリングであることから必ずしも10"とは関係がないようである。但し古い音源がLPX---で出た時からRIAAカーヴになった可能性が高い。ユリアン・フォン・カーロイ( 1914 - 1993)はオーストリア=ハンガリー帝国領ルションツ(現在スロヴァキア領ルチェネツ)の生まれ。 幼少期より地元で有名なオルガニストだった父から音楽の手ほどきを受け、12歳の時にブダペストで演奏会を開いてバルトーク・ベーラの知己を得、ヴァロー・マルギットの薫陶を受けることとなった。その後、1926年にミュンヘンでヨーゼフ・ペンバウアー、1927年にライプツィヒでマックス・フォン・パウアーに師事し、1931年にパリでアルフレッド・コルトーに師事。1932年から1934年までフランツ・リスト音楽院のドホナーニ・エルネーの下で研鑽を積んだ。演奏活動は修業時代から行っており、1929年にはロンドンに演奏旅行に行って成功を収め、その翌年にはフョードル・シャリアピンの伴奏者としてロンドンを再訪している。フランツ・リスト音楽院を卒業した後はヨーロッパの主要都市でコンサートを重ねて名を上げ、1951年にはカーネギー・ホールでデビューを飾った。1932年の第2回ショパン・コンクール第9位入賞。 1933年の第1回フランツ・リスト・ピアノ・コンクール(現在・ブダペスト国際音楽コンクール)でリスト賞を受賞している。1956年のハンガリー動乱の際にドイツへ亡命し、同年にはドイツ国籍を取得した。DGGには1940年代から録音がある。1972年からはヴュルツブルク音楽大学で教鞭を執った。ミュンヘンにて死去。ドイツとフランスの両方の良いところを身に着けた実力派。リストを得意としていた。ショパンは勿論ドビュッシーまでレパートリーを持つ技巧派でもある。地味に感じるが内省的な深みのあるスタイルでウィルヘルム・シュヒターとショパン: ピアノ協奏曲などの録音もある(EMI系)。ルバートは控えめながら早いパッセージも難なくこなす上手さを持つ。1950年代にはドイツ圏で大いに活躍した。ロマンチックなスタイルだがステファン・アスケナーゼより現代感覚を持ったピアニスト。DGGからは信頼を得ていたピアニストだった。

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