[DECCA] H.クナッパーツブッシュ指揮パリ音楽院o. / R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」Op.20, 交響詩「死と変容」Op.24
商品コード: 1260-043p
商品詳細:1956年モノラルのみ発売、クナのLPの中でもとりわけ入手困難な一枚。ウィーンpo.ではなくパリ音楽院o.を振る。一聴で、それとわかるダイナミズムと格調の高さの融合。ドイツの生んだ国際的指揮者ハンス・クナッパーツブッシュ。彼の音楽は、ドイツという枠を破り、国境や人種を超え、単なる音楽さえも超えるのでは?と思わせる、哲学性とエンタテイメント性を併せ持った類い稀なる指揮者だった。天才的器楽奏者が曲を超える瞬間に出くわすことがあるが、クナッパーツブッシュは指揮者でそれを感じさせる僅かな一人。ハンス・クナッパーツブッシュ( 1888- 1965)はドイツの現在のヴッパータールで、蒸留酒製造業者の次男として生まれた。ケルン音楽院で学んだ。そこで彼は院長のフリッツ・シュタインバッハから指揮法を学ぶ。1912年までの期間、当時バイロイト音楽祭の芸術監督であったジークフリート・ワーグナーと、当音楽祭で活躍したワーグナー指揮者、ハンス・リヒターのアシスタントを務めた。国際的な地位を占めるワーグナー指揮者としての彼の成長期となった。情熱的なワーグナー崇拝者であったといわれる。活動の拠点をオーストリアに移した1944年までウィーン国立歌劇場の運営に大きく関わり、1929年にデビューしていたザルツブルク音楽祭にも1937年から再び出演した。また、その年以降、終生ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を何度も指揮した。1955年11月からは再建後に新しくオープンしたウィーン国立歌劇場でリヒャルト・シュトラウスの『ばらの騎士』を指揮した。しかし、これが彼のウィーン国立歌劇場への最後の出演となり、1956年に劇場監督を引き継いだヘルベルト・フォン・カラヤンはもはや彼と関わらなかった。バイロイト音楽祭の常連指揮者として活動したが、1964年の公演でクナッパーツブッシュはひどく転倒して股関節を骨折し、そこから完全に回復することはなかった。翌年の1965年に亡くなる。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団から最も敬愛された指揮者として語り継がれている。DECCAのプロデューサーであるジョン・カルショウは、録音に対して非協力的であったと述べており、プロデューサー泣かせの指揮者だったことは事実である。しかし1950年代後半には多くの素晴らしい録音をDECCAに残したことも事実である。これはモノラル期の1956年パリ録音。ロンドン録音だったらステレオもあり得た時期だが、その代わりオケはパリ音楽院o.。ウィーンpo.とは一味異なるクナ・パワー漲る演奏!
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