[ETERNA] P.ダム(hr) H.レーグナー指揮ドレスデンsk. / R.シュトラウス:Hr協奏曲1番Op.11, Hr協奏曲2番 ホ長調

[ 1269-038n ] Richard Strauss, Staatskapelle Dresden, Peter Damm, Heinz Rögner – Hornkonzerte

通常価格:¥ 5,500 税込

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商品コード: 1269-038n

作品名:R.シュトラウス:Hr協奏曲1番Op.11 | Hr協奏曲2番 ホ長調
演奏者:P.ダム(hr)H.レーグナー指揮ドレスデンsk.
プレス国:旧東ドイツ, Germany East
レーベル:ETERNA
レコード番号:825 883
M/S:ステレオ, stereo
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:7 : 両面にシール貼りあり
評価/ジャケット:A
キズ情報:
レーベルタイプ:【旧東ドイツでのオリジナル】---黒/銀, STEREO ○○ST33, グルーヴガード厚, Rights Society:AWA, (P)なし, スタンパー/マトリクス:825 883-1B/825 883-2C (ラウンド中文字スタンパー・ETERNA旧タイプ), ETERNA製造・録音を示す8***で始まりレコード番号を含む専用マトリクス使用, 補助マトリクス:B1 W NR/C1 W NR, 再補助マトリクス:A2 H/A3 D, 再々補助マトリクス:あり(判別不能), 1971年2月/1971年3月製造のスタンパーによる1971年頃製造分, V字ステレオ存在せず, 825 1**という旧初期番号存在せず, 初期黒/銀ツヤレーベル存在せず, ED存在せず, これより古いレーベル存在せず, 最古レーベル・最厚プレスである, 更に古いマトリクス存在するか不明(1A/2Aがあるか不明), 更に古い補助マトリクスは存在しないと思われる, モノラル存在せず, RIAAカーヴである, ETERNA音源のETERNA制作プレス, カッティング担当:イニシャルW NTはAnnelene Dziengel + ノイマンのカッティングマシン使用を示す, 工場:VEB Deutsche Schallplatten Potsdam-Babelsberg, auguststr.45, オリジナル, original
ジャケット:【旧東ドイツでのオリジナル】---両面ツヤペラ, 表記されたジャケット番号:STEREO 825 883, Price Code:12.10 M, 背文字:あり(黒色・クリーム背景), ジャケ裏年号:Ag 511/01/71, 当社入荷履歴上で最古の年号/存在が確認された年号:AAg 511/01/71(当ジャケットである・一致), 製作:VEB Deutsche Schallplatten Berlin. DDR, 印刷:VEB Gotha-Druck, これより古いタイプ存在せず, オリジナル, original
トピックス:1970年ドレスデン・ルカ教会スタジオ( Studio Lukaskirche, Dresden)にてステレオ録音, 録音技師:Eberhard Richter, プロデューサー:Heinz Wegner, 編集/カッティングマスター:Annelene Dziengel, 1971年VEB Deutsche Schallplatten Berlin. DDRによりコピーライト登録・同年ETERNA:825 883(当装丁)にて初リリース, 使用楽譜:Universal Edition AG(1番)/ Boosey & Hawkes Ltd(2番), P.ダムの初回録音, 1975年ルドルフ・ケンペ指揮・ドレスデンsk.と再録音を行った, 両者のソロは相当に違うらしい・興味のある方は是非聴き比べていただきたい

商品詳細:P.ダムは、ケンペのシュトラウスシリーズで、同じドレスデンsk.と録音('76年)しているが、これは、それより前の1970~71年の初回録音。それだけ、この曲に対するP.ダムへの信頼が厚かったのだろう。しかし、その前にレーグナーのオケもまた、注目されるべきである。同じ演奏が、指揮者の違いでここまで変わるというのを見せつけられた。レーグナーのゆっくりだが生き生きとしたリズム感は、なかなか素晴らしい。巨匠ケンペに充分対抗できる。ダムも応えて、悠然とソロを吹く。ハインツ・レーグナー(1929- 2001)はライプツィヒに生まれ。ライプツィヒ音楽大学に進み、ピアノとヴァイオリンを学んだ。卒業後、ヴァイマル国立歌劇場の第二指揮者に就任し、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、シュターツカペレ・ドレスデンなどに客演した。ドイツ再統一以前には東ドイツで活動し、1958年ライプツィヒ放送交響楽団の首席指揮者、1962年ベルリン国立歌劇場の常任指揮者、1973年ベルリン放送交響楽団の首席指揮者にそれぞれ就任した。1983年4月~1992年3月には読売日本交響楽団の第5代常任指揮者を務めた。緻密な音楽作りで知られ、人材不足気味のドイツ期待の星として大きく喧伝された時期もあったが、晩年は、愛妻を亡くしたことで精彩を欠いていた。2001年、ライプツィヒで没した。ベルリン国立歌劇場/ベルリンsk.では1962年事件が起きる。何と音楽総監督のフランツ・コンヴィチュニーが急逝してしまう。1964年に正式にスウィトナーが任命されることになるが空白の1962-1964年の間ライプツィヒで活躍していた3人の指揮者、ハインツ・フリッケ[1927-2015](ライプツィヒ市立オペラ)、ヘルムート・ザイデルマン[1901-1962](ライプツィヒ市立オペラ)、ハインツ・レーグナー(ライプツィヒ放送大管弦楽団)の3人でカバーすることになった。コンヴィチュニーは亡くなる以前からサブで起用しており、空白を埋めるには彼ら以外いなかった。レーグナーは1962年9月のシーズン開始から移ることができ、12月にはベンツィン文化大臣から音楽総監督に任命。当時のベルリン国立歌劇場は、1955年の再建オープンから運営規模が大掛かりになっていたことから、音楽総監督を複数置くことを可能としていた。こうして1964年にスウィトナーが任命された後も、レーグナーとフリッケは1974年までサブとしてベルリン国立歌劇場/ベルリンsk.の音楽総監督補佐として残った。ライプツィヒ放送o.の指揮者でしかなかったレーグナーはここで一気にその存在感を増し、録音機会が増えることになる。その後のレーグナーの躍進はご存じの通り。ここではペーター・ダムが主役だがダムは既に押しも押される名手となっている。それが証拠にケンペとの全集録音でも当然のようにペーター・ダムが起用された。ペーター・ダム(1937-)はテューリンゲン州マイニンゲン生まれで1959年ライプツィヒ・ゲヴァントハウスo.の首席ホルン奏者、1969年からは・ドレスデンsk.の首席ホルン奏者となる。ドレスデンのカール・マリア・フォン・ウェーバー音楽大学で長年にわたり指導し、多くの国際音楽セミナーでも講師を務めた。2002年、シュターツカペレ・ドレスデンを辞すると、名誉団員となった。世界中にファンが多い。

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