[WESTMINSTER] H.シェルヘン指揮ウィーンso. / ハイドン:交響曲100番「軍隊」, 95番

[ 1273-040 ] Haydn, The Vienna Symphony Orchestra, Hermann Scherchen – Symphony No.100 (Military) / Symphony No. 95

通常価格:¥ 5,500 税込

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商品コード: 1273-040

作品名:ハイドン:交響曲第100番 ト長調「軍隊」, 95番 Hob. I:100 | 交響曲第95番 ハ短調 Hob. I:95
演奏者:H.シェルヘン指揮ウィーンso.
プレス国:米国, U.S.A.
レーベル:WESTMINSTER
レコード番号:WL 5045
M/S:モノラル, monaural
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:7/6 : 緑/金レーベルでは極上レベル
評価/ジャケット:A
キズ情報:A面10時に無音点と極小数回感じる点あり→7, B面11時/5時に極小7回出る横スレ, 4時に極小10+小11+8回出る面スレ, 8時小21回出るスレあり
レーベルタイプ:【米国でのオリジナル】---緑/金中溝, 3時にMade in U.S.A., 6時にLong Playing Microgroove, フラット重量, 表記されたレコード番号:WL 50-45, Rights Society:記載なし, (P)なし, TAX Code:なし, スタンパー/マトリクス:XTV 14004 2A/XTV 14005 1A (ラウンド大文字スタンパー・WESTMINSTER旧タイプ), 米国COLUMBIAに製造委託したモノラル製造を示すXTV**で始まりレコード番号を含まない専用マトリクス使用, 補助マトリクス:なし, 再補助マトリクス:なし, カッティング担当:不明, 1950年代のスタンパーを用いた1951年頃の製造分, 旧番号存在せず, 緑/金ツヤレーベルは存在しないと思われる, これより古いレーベル存在せず, 最古レーベル・最厚プレスである, 更に古いマトリクス存在するか不明, カッティング担当の前任者:不明, ステレオ存在せず, RIAAカーヴではない, WESTMINSTER音源のWESTMINSTER制作米COLUMBIAプレス, 工場:Columbia Records Pressing Plant, Terre Haute , オリジナル, original
ジャケット:【米国でのオリジナル】---表コート厚紙, 表記されたジャケット番号:WL 50-45, Price Code:なし, 背文字:なし(初期の証拠), ジャケ裏年号:なし, (P)なし(C)1950, 当社入荷履歴上で最古の年号/存在する番号:不明(年号記載ないが当ジャケットで有ると思われる), 製作:Westminster Recording Co., Inc, 印刷:記載なし・米国製, 文字だけの旧デザインはないと思われる, これより古いデザイン存在せず, オリジナル・タイプ, original type
トピックス:1950年頃ウィーンでのモノラル録音, 録音詳細不明, 米国では1951年Westminster Recording Sales Corp. によりコピーライト登録・同年Westminster:WL 50-45(当装丁)にて初リリース, 当社入荷2度目の緑/金中溝レーベル・オリジナル, 緑/金レーベルで盤質7が付くケースはほぼない, シェルヘンのハイドン交響曲は意外に多い--WL 5206 (No. 44・ 49) / WL 5137 (No. 92・94) / WST 14044 (No. 45)/ WL 5066 (No. 55・104) / WL 5050 (No. 80・103) / WL 5178 (No. 88・93)/ /WL 5045 (No. 95・100) / WL 5111 (No. 98・96) / WL 5102 (No. 99・101)/ WL 5062 (No. 97・102) の10枚あり録音は1950-1958年で1曲45番のみステレオあり

商品詳細:ヘルマン・シェルヘン(1891- 1966)はベルリンの酒場の息子として生まれ、ヴィオラを学ぶ。家計が苦しく、1907年からブリュートナー管弦楽団、ベルリン・フィル、クロル・オペラなどでヴィオラ奏者として活動する一方、ナイトクラブなどでも演奏した。シェルヘン自身はアシュケナジム・ユダヤ系ではなかったが、1933年にナチス政権が成立すると、これに反対してスイスに移住、第二次世界大戦が始まるまでは、ドイツを除く欧州諸国のほか、パレスチナや中国にまで足を伸ばした。1936年には、本番直前に指揮をキャンセルしたヴェーベルンの代役として、ベルクのヴァイオリン協奏曲をルイス・クラスナーとともにバルセロナで初演している。しかし、開戦後はほぼスイス国内のみに活動範囲が制約された。戦後レコード会社ウェストミンスター・レコードに参加、1950年以降ウィーンで数多くのレコーディングを行った。現代音楽のための活動も一貫して続け、ノーノやクセナキス、シュトックハウゼンなどの作品を初演したほか、1950年に出版社「Ars Viva」を設立、1954年にはグラヴェザーノに電子音楽スタジオを開設している。1964年に初めてアメリカを訪れ、フィラデルフィア管弦楽団を指揮して大成功を収めた。J.S.バッハ(とりわけ「フーガの技法」)、ベートーヴェン、シェルヘンによる特殊奏法を盛り込んだマーラー、さらにシェーンベルクなどの新ウィーン楽派の作品を特に愛好していた。演奏スタイルは基本的には知的で明晰なものを指向していたが、一方(特に古典作品で)伝統に反旗を翻すような奇抜な解釈による演奏を行うこともあり、さらに実演では表現主義的な激しさを見せることもまた多かった。楷書体のきっちりしたスタイルで遊びはなく、無駄な音もない。音は伸ばさず、カラヤンと正反対のタイプ。強弱の振幅は大きめで個性的なスタイルといえる。曖昧さを排したドイツ的な要素が多い。一聴ぶっきらぼうに聴こえるが、これこそがシェルヘンの個性であり、長く付き合えるタイプの演奏ともいえる。日本では人気が高い指揮者とはいえない理由もシェルヘンの個性に由来するようである。あまり聴かせてやろうという態度が無く、自身のスタイルを貫く為だろう。ベートーヴェンでは成功したとも言いがたい状態であったが、ハイドンは曲想が合っていたようで、どれも悪くない。19曲もの交響曲を10枚のLPに残した。

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