[ODÉON] S.ゴールドベルク(vn) W.ジュスキント指揮フィルハーモニアo. / モーツァルト:Vn協奏曲3番K.216, Vn協奏曲4番K.218

[ 1274-019 ] Simon Goldberg – Mozart CONCERTO No 3 No 4

通常価格:¥ 13,200 税込

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商品コード: 1274-019

作品名:モーツァルト:Vn協奏曲3番K.216 | Vn協奏曲4番K.218
演奏者:S.ゴールドベルク(vn)W.ジュスキント指揮フィルハーモニアo.
プレス国:フランス, France
レーベル:ODÉON
レコード番号:ODX 105
M/S:モノラル, monaural
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:6
評価/ジャケット:A
キズ情報:A面6時に微かに12回出るスレと極小2回出る点あり, B面12時に極小15回出るスレ, 2時に微かに27回出るスレあり
レーベルタイプ:【フランスでのオリジナル】---赤/銀内溝, Longue Durée Microsillon. 33 1/3 Tours Minute, 6時にMade in France, フラット重量, Rights Society:DP, (P)なし, スタンパー/マトリクス:XEX 22-3N/XEX 21-3N (ストレート小文字スタンパー・EMI/Pathéタイプ), ODÉONの英国モノラル録音・製造を示すXEX***で始まりレコード番号を含まない英国EMI型フランス専用マトリクス使用, 補助マトリクス:ラウンドMスタンパー・M6-138642/M6-138640, 再補助マトリクス:なし・パテキュラーはない, 2種併存のPathéプレス, 1950年代のスタンパーによる1954年頃製造分, カッティング担当:不明, 旧番号存在せず, 赤/銀内溝レーベル・フラット盤の最初期分, これより古いレーベル存在せず, フランスでの最古レーベル・最厚プレスである, 更に古いマトリクス存在せず, ステレオ存在せず, RIAAカーヴではない, ODEONグループ英国音源の仏ODEON制作Pathéプレス, 工場:Pathé Marconi EMI, Chatou.., フランスでのオリジナル, original in Fr.
ジャケット:【フランスでのオリジナル】---初期共通デザイン折返表半ツヤペラ, 表記されたジャケット番号:ODX 105, Price Code:なし, 背文字:なし(初期の証拠), (P)(C)なし, ジャケ裏年号:なし, 当社入荷履歴上で最古の年号/存在が確認された年号:不明(年号記載ないがフランスでは当ジャケットである), 製作:Disque ODÉON., 印刷:記載なし・フランス製, フランスでこれより古いタイプ存在せず, フランスでのオリジナル, original
トピックス:【入荷の少ない希少タイトル】---1951年ロンドンでのモノラル録音, 録音詳細不明, 英国では1952年 Parlophone Odeon:PMA 1003(アズキ/金中溝レーベル・フラット盤・共通デザインジャケット入り)にて初リリース, フランスでは1954年頃仏ODÉON:ODX 105(当装丁)にて初リリース, 当社25年の営業の中でも4度目の入荷という希少なタイトル, 元々は4番をA面として製作した跡が見て取れる, 演奏:★★★★★, 音質:★★★★+

商品詳細:S.ゴールドベルクの名はVnのレコードを愛する人達には特別な響きを持つ。SP期、L.クラウスとモーツァルトのVnソナタの全曲録音やルプーとのステレオ録音等、モーツァルトとも大きな絆がある。そんなゴールドベルクの代表作がこれ。誰もが、その存在は知ってはいる録音のオリジナル。フランス初出。力を抜いた典雅の極み。感性の塊のような、その上品なVnは二度と再現不可能な唯一無二の至宝だ。尚、同じ時にVn協奏曲5番も録音されていたが、フィルハーモニアo.の楽団員の一人が製造許可を出さなかった為、LP化はボツとなった。近年のCDなどでは該当楽団員の許可が出たらしく3-5番の3曲が収録されている。シモン・ゴールドベルク(1909- 1993)は、ご存じ、現在のポーランド出身のユダヤ系アメリカ人のヴァイオリン奏者/指揮者。1917年よりベルリンでカール・フレッシュに入門。12歳でワルシャワでデビューし、センセーションを呼ぶ。1925年にわずか16歳でドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターに就任するが、1929年に退団。同年、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーの招きで、弱冠20歳でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターに就任。1930年には、パウル・ヒンデミットやエマヌエル・フォイアーマンと弦楽三重奏団を結成して室内楽演奏を、またピアニストのリリー・クラウスとはデュオを組んでソリストとしての演奏を精力的に続ける。しかしナチスによる政権奪取の後、1934年に国籍と民族を理由にベルリン・フィルより退団を余儀なくされる。1938年にソリストとしてニューヨークにデビューした後、1942年からアジアへ演奏旅行を行なった折、日本軍により、1945年までジャワ島での抑留生活を強いられる。ようやく戦後に再渡米し、1953年にアメリカに帰化した。1955年にアムステルダムにてトーマス・マジャールらと共にネーデルラント室内管弦楽団(オランダ室内管弦楽団)を結成し、以後22年間にわたって同楽団を指導し、共に演奏旅行も行なった。1977年~1979年までマンチェスター・カメラータの指揮者に転ずる。1978年にニューヨークのジュリアード音楽院で、1979年~1982年までイェール大学で、1980年よりフィラデルフィアのカーティス音楽院で、1981年よりニューヨーク州マンハッタン音楽学校で教鞭を執る。1990年より没年まで、新日本フィルハーモニー交響楽団の指揮者に就任。晩年は、夏には立山山麓の立山国際ホテルに長期滞在するのを常としており、その地で逝去した。ゴールドベルクは、指揮者としてはJ.S.バッハを得意としていたが、ヴァイオリニストとしては、ラドゥ・ルプーとの共演によるモーツァルトやシューベルトのソナタの録音が名盤として、今日でも評価が高い。そこでは、しっとりと濡れたような音色の美しさや、20世紀のヴァイオリニストとしては控えめなビブラート、音楽そのものを慈しむような、作品への誠実な取り組みが認められる。尚、彼の愛器だったグァルネリ・デル・ジェス『バロン・ヴィッタ』は、現在アメリカ合衆国連邦議会図書館に寄贈され、保管されている。---以上Wikipedia

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