[COLUMBIA] V.アシュケナージ(pf) L.ルートヴィヒ指揮ベルリン・ドイツ・オペラo. / ブラームス:Pf協奏曲2番Op.83

[ 1280-037 ] Brahms / Vladimir Ashkenazy, Leopold Ludwig, Berlin Opera Orchestra – Piano Concerto No. 2 In B Flat Major

通常価格:¥ 5,500 税込

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商品コード: 1280-037

作品名:ブラームス:Pf協奏曲2番Op.83/ Allegro Non Troppo--Allegro Appassionato-- | -- Andante--Allegretto Geazioso
演奏者:V.アシュケナージ(pf)L.ルートヴィヒ指揮ベルリン・ドイツ・オペラo.
プレス国:英国, United Kingdom
レーベル:COLUMBIA
レコード番号:33CX 1637
M/S:モノラル, monaural
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:7
評価/ジャケット:A
キズ情報:B面8時に極小6回出る点あり→7とした
レーベルタイプ:【英国でのオリジナル】---紺/金音符ツヤ段付, 6時にMade in Gt Britain, グルーヴガード厚手, 表記されたレコード番号:33CX 1637, TAX Code:なし, Rights Society:記載なし, (P)なし, スタンパー/マトリクス:XRX 239-2N /XRX 240-1N (ラウンド小文字スタンパー・EMIタイプ), EMIグループCOLUMBIA系ドイツ録音モノラル製造を示すXRX***で始まりレコード番号を含まない英国型専用マトリクス使用, 補助マトリクス(3時):GD/GD, 再補助マトリクス(9時):1/1, 1950年代のスタンパーによる1958年頃製造分, カッティング担当:イニシャルNは不明, 英国に旧番号存在せず, 紺/金音符ツヤ中溝レーベル存在せず, フラット盤存在せず, 英国でこれより古いレーベル存在せず, 英国での最古レーベル・最厚プレスである, 更に古いマトリクス存在するか不明, ステレオ存在せず, RIAAカーヴである, EMIグループCOLUMBIA系ドイツ音源の英COLUMBIA制作EMIプレス, 工場:"The Old Vinyl Factory" Hayes・Middlesex・England, 英国でのオリジナル, original in UK.
ジャケット:【英国でのオリジナル】---三方折返表コート厚紙, 2時方向に楕円♬ COLUMBIA, 表記されたジャケット番号:33CX 1637, Price Code:なし, 背文字:あり(青色・クリーム背景), (P)(C)なし, ジャケ裏年号:なし, 当社入荷履歴上で最古の年号/存在が確認された年号:不明(年号記載ないが当ジャケットである), 製作:Columbia Graphophone Company Ltd. Hayes・Middlesex・England, 印刷:Garrod & Lofthouse Ltd., ホタテ貝タイプ存在せず, これより古いタイプ存在せずい, 英国でのオリジナル, original in UK.
トピックス:1957年頃ドイツ・ベルリンでのモノラル録音, 録音詳細不明, 英国では1958年頃Columbia Graphophone Company Ltd. Hayes・Middlesex・Englandによるコピーライト登録・同年英COLUMBIA:33CX 1637(当装丁)にて初リリース, あまり知られていないアシュケナージの初回モノラル録音, ドイツでは同年独COLUMBIA:WCX 513で初リリース, ステレオは存在しない, 1982年10月ハイティンク/ウィーンpo.との再録音あり, DECCA以前の3枚しかない英COLUMBIA録音の一つ, 演奏:★★★★+, 音質:★★★★+

商品詳細:ウラディーミル・アシュケナージ(1937-)はソヴィエト連邦出身ユダヤ系のピアニスト、指揮者。「アシュケナージ」はアシュケナジムからきており、ユダヤ系のディアスポラ(パレスチナ以外の地に移り住んだユダヤ人)のうちドイツ語圏や東欧諸国などに定住した人々およびその子孫を指す。1955年にはワルシャワで開催されたショパン国際ピアノ・コンクールに出場し、2位に輝いた(優勝はアダム・ハラシェヴィチ)。この時にアシュケナージが優勝を逃したことに納得できなかったアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリが審査員を降板する騒動を起こしたことはよく知られている。同じ年にモスクワ音楽院に入学、レフ・オボーリンやボリス・ゼムリャンスキーに師事した。翌1956年にはエリザベート王妃国際音楽コンクールに出場して優勝を果たし、これを機にヨーロッパ各国や北米を演奏旅行してセンセーショナルな成功を収めた。EMIやメロディアからレコードも発売され、音楽院在学中から国際的な名声を確立した。1962年にはチャイコフスキー国際コンクールに出場しジョン・オグドンと優勝を分け合った。1963年にソヴィエト連邦を出国しロンドンへ移住、以後ソ連のあらゆる公式記録からその名を抹消された。1963年DECCAと契約を交わし、DECCAの新生看板ピアニストとして続々と録音を行う。しかしDECCAと契約以前のEMIにも録音があった。アシュケナージの西側デビュー録音は1955年の第5回ショパン・コンクールでの記念録音がフランスPathéの箱にあり、その後1958年英国COLUMBIAにショパン:ソロリサイタル・33CX 1621、ラフマニノフ:コレッリ変奏曲 他・33CX 1913の2枚とこのブラームス:Pf協奏曲2番・33CX 1637の計3枚のLPがDECCA以前に西側で録音発売されていた。もう1枚33CX 1563があるがこれは1955年のコンクール録音なので除外した。このDECCA以前の3枚のモノラル録音は希少である。ブラームス:Pf協奏曲2番はベルリンでモノラル録音された。アシュケナージの最初期商用録音である。コンクールからまだそれほど経って居らす、当時の若々しい情熱が感じられる。

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