[COLUMBIA] V.アシュケナージ(pf) L.ルートヴィヒ指揮ベルリン・ドイツ・オペラo. / ブラームス:Pf協奏曲2番Op.83
商品コード: 1280-037
商品詳細:ウラディーミル・アシュケナージ(1937-)はソヴィエト連邦出身ユダヤ系のピアニスト、指揮者。「アシュケナージ」はアシュケナジムからきており、ユダヤ系のディアスポラ(パレスチナ以外の地に移り住んだユダヤ人)のうちドイツ語圏や東欧諸国などに定住した人々およびその子孫を指す。1955年にはワルシャワで開催されたショパン国際ピアノ・コンクールに出場し、2位に輝いた(優勝はアダム・ハラシェヴィチ)。この時にアシュケナージが優勝を逃したことに納得できなかったアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリが審査員を降板する騒動を起こしたことはよく知られている。同じ年にモスクワ音楽院に入学、レフ・オボーリンやボリス・ゼムリャンスキーに師事した。翌1956年にはエリザベート王妃国際音楽コンクールに出場して優勝を果たし、これを機にヨーロッパ各国や北米を演奏旅行してセンセーショナルな成功を収めた。EMIやメロディアからレコードも発売され、音楽院在学中から国際的な名声を確立した。1962年にはチャイコフスキー国際コンクールに出場しジョン・オグドンと優勝を分け合った。1963年にソヴィエト連邦を出国しロンドンへ移住、以後ソ連のあらゆる公式記録からその名を抹消された。1963年DECCAと契約を交わし、DECCAの新生看板ピアニストとして続々と録音を行う。しかしDECCAと契約以前のEMIにも録音があった。アシュケナージの西側デビュー録音は1955年の第5回ショパン・コンクールでの記念録音がフランスPathéの箱にあり、その後1958年英国COLUMBIAにショパン:ソロリサイタル・33CX 1621、ラフマニノフ:コレッリ変奏曲 他・33CX 1913の2枚とこのブラームス:Pf協奏曲2番・33CX 1637の計3枚のLPがDECCA以前に西側で録音発売されていた。もう1枚33CX 1563があるがこれは1955年のコンクール録音なので除外した。このDECCA以前の3枚のモノラル録音は希少である。ブラームス:Pf協奏曲2番はベルリンでモノラル録音された。アシュケナージの最初期商用録音である。コンクールからまだそれほど経って居らす、当時の若々しい情熱が感じられる。
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