[COLUMBIA] D.リパッティ(pf) / バッハ:パルティータ1番B.825, B.147「主よ、人の望みの喜びよ」, コラール前奏曲(2曲), シチリアーナ, モーツァルト:Pfソナタ8番K.310
商品コード: 1280-015
商品詳細:リパッティの全5枚のColumbia録音の一つ。1枚だけしか残せないとすれば迷わずこれ。ジャケには幾つかのタイプがあるが、だからと言ってリパッティがリパッティでなくなる事は無い。バッハの小品4曲とパルティータ1番、モーツァルトのK.310。お馴染みの名盤だが、これがあるだけで安心できる。人生、山あり谷あり、いかなる時にもこの盤に問い掛ければ自ずと得るものがあるだろう。座右の友として長い付き合いのできる伴侶となるはず。永遠の名品だ。大半が1950年7月スイス・ジュネーヴでのスタジオ録音。ディヌ・リパッティ(1917- 1950)はルーマニア・ブカレスト生まれ。ディヌの名付け親はジョルジェ・エネスク。ブカレスト国立音楽大学にてフロリカ・ムジチェスクに師事。1934年-1939年パリ在住。パリのエコールノルマル音楽院でアルフレッド・コルトーやポール・デュカスに教えを受ける。1939年から1943年にかけてローマ、ウイーン、ベルリン、ブラチスラバ、ソフィアでコンサートを行う。1943年に婚約者のマドレーヌ・カンタクジノ(Madeleine Cantacuzino)とストックホルムでのコンサートのためにルーマニアを離れる。以来、二度と母国に戻らなかった。1944年からスイスに住んだ。1950年12月2日、33歳でジュネーヴ郊外でこの世を去った。死因は白血病といわれることが多いが、実際はホジキンリンパ腫である。この悲劇的な死を迎えた不世出のピアニストの情報はレコード会社にとってもニュースであり、彼の残した少ない録音をビジネスとして成立させるのに大きな作業は必要なかったといえるだろう。1950年代のLP初リリースから数年置きに必ず再版が繰り返され、CD期なってもそれは続いた。実態の伴わない名盤伝説は続かない。多くの消費者が実態を認め、感動を覚えたから今日まで語り継がれる録音となったのである。リパッティの死後70年を経過した今でもその音楽は陳腐化していない。それどころか更なる伝説と化してきているのが事実だろう。流行り音楽と異なり、クラシック音楽の水準の高い録音の寿命は長い。EMIの名物プロデューサーであり当録音を担当したウォルター・レッグは、リパッティの音楽性が「俗化されたヴィルティオーゾとは種類を異にし、寧ろ17世紀に用いられた「コニサー(玄人、目利き、通)」という呼び名こそ相応しい」と述べている。1950年9月16日にブザンソンで行われたコンサートを最後に12月2日ジュネーヴにて没。このバッハ/モーツァルト集はその亡くなる年の1950年7月6日~10日頃のスイスでのスタジオ録音であり、既に病魔が進行中の亡くなる数か月前の録音である点を考慮しても、未来に残すべき人類の遺産でであることに疑問の余地はない。死期を悟った人間の心中が演奏に表れていることは誰の耳にも何かを感じさせるのである。
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