[DGG] L.マゼール指揮ベルリンpo. / ベートーヴェン:交響曲6番Op.68「田園」, 12のコントルダンス
商品コード: 1282-057p
商品詳細:1930年仏生まれのマゼール。8歳でニューヨークpo.デビュー、10代半ばで全米メジャーオケを振った天才。1957年27歳でDGGと契約。1957年2月に行われたベルリオーズ、チャイコフスキー、プロコフィエフによる3つの『ロメオとジュリエット』を収めた録音がDGGでのデビュー録音。1958年「運命」、翌'59年「ブラ3」と快進撃を続け、ポスト・カラヤンと囁かれた。田園はその後1959-60年の録音。テンポは早めながら、ジャケットのように田園風景が頭にイメージされる演奏。ベルリンpo.がこれだけ柔らかい音を出しているのに驚いた。フランス人指揮者による違いか?静かな個性。DGGには'65年まで籍を置く。マゼールはカラヤンより先にベルリン・フィルとのレコーディングを開始するという異例の扱いを受けた指揮者である。この時期のマゼールは、1960年に史上最年少でバイロイト・デビューを果たし、1963年にはザルツブルク音楽祭にも出演したほか、ベルリン・ドイツ・オペラ日本公演ではベームらと共に来日、『トリスタンとイゾルデ』の日本初演を行った後、東京交響楽団、読売日本交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団の指揮も行った。その成功を受けて、1964年には、亡くなったフリッチャイの後を継いでベルリン放送交響楽団の首席指揮者となり、翌1965年には、ホルライザーの後任としてベルリン・ドイツ・オペラの音楽監督にも就任している。当時、破竹の勢いだったカラヤンの対抗勢力として大いに注目を集め、ドイツ・グラモフォン、EMIに続いてデッカやフィリップス、コンサート・ホール・レーベルなどへも録音を開始、バロックから近代に至る幅広いレパートリーを取り上げ、若手指揮者としては異例の活躍ぶりを見せた。1965年まで多くの記憶に残る録音を行ったが ベートーヴェン:交響曲は5番/6番の2曲だけ。1960年3月にはすぐ近くでクリュイタンスが「田園」を録音しており、ここでもDGGとEMIのニアミスが起きていた。やや早足で進める、若手指揮者による瑞々しい「田園」演奏も悪くなく、DGGは十分にクリュイタンスに対抗できると考えていたようだ。
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