[Le Chant de Monde] P.バルビゼ(pf) / プロコフィエフ:Pfソナタ9番Op.103
商品コード: 1285-005
商品詳細:プロコフィエフのピアノソナタ第9番はセルゲイ・プロコフィエフが最後に作曲に着手し、完成に至ったピアノソナタ。1947年に書かれた。プロコフィエフはその後、第5番の改訂を行い、第10番ホ短調作品137の作曲に着手したが、後者は未完に終わった。作品はスヴャトスラフ・リヒテルに献呈され、1951年4月23日にモスクワでリヒテルによって初演された。プロコフィエフは晩年に音の簡素化に着実に向かっていくが、この曲も非常に装飾の少ない簡素な曲になっており、「戦争ソナタ」などに見られたような複雑な対位法や技巧的なパッセージはほとんど見られない。ピエール・バルビゼ(1922-1990)はチリ生まれのピアニスト。フランスに帰化した。パリ音楽院に学び、1944年にピアノ科の首席となる。また音楽史や室内楽でも首席に輝いた。1948年にスヘフェニンヘン国際コンクールのグランプリに輝き、1949年には、ロン=ティボー国際コンクールの5位に入選した。ご存じクリスチャン・フェラスとのデュオで長年コンビを組んで多くの室内楽における名演を残した。バルビゼのソロ録音は少なく、モノラル期にBAMにモノラル録音したモーツァルト協奏曲やLe Chant de MondeのモーツァルトPfソナタが思い出されるものの確かに少ない。大半がクリスチャン・フェラスとの共演で、そのため伴奏ピアニストとしてのイメージが定着してしまっているが、ソリストとして一流である。1963年頃クリスチャン・フェラスと一緒にDGGに移籍したがクリスチャン・フェラスばかりが注目を浴び、カラヤンに気に入られ多くの録音を行ったのに対し、バルビゼは仕事が少なく、僅かなフェラスとの共演があっただけである。DGGでは冷遇された。しかし相棒のフェラスは精神を病み結局自殺してしまう。相棒を失い、録音の機会もないバルビゼが途方に暮れたことは容易に想像がつく。1960年後半~1970年代は殆ど録音が無かったが、1970年代後期に心機一転ERATOに移籍し、地道に活動を続けた。Le Chant de Mondeに録音は多くはない。このプロコフィエフ:Pfソナタ9番は1956年ころのパリ録音。プロコフィエフの中でも聴きやす曲であることからの選曲と思われる。技巧を全面に出さないフレンチ・ピアニストの一人として、存在事実を語る証拠としてこの録音の価値は大きいと思える。
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