[MELODIYA] E.キーシン(pf) D.キタエンコ指揮ソビエト国立so. / ショパン:Pf協奏曲1番Op.11, 2番Op.21, マズルカ40番Op.63-2, 49番Op.68-4, ワルツ14番Op.Posth.

[ 1289-028n ] Kissin, Chopin – The Legendary 1984 Moscow Concert (Chopin Piano Concertos Nos. 1 & 2)

通常価格:¥ 2,750 税込

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商品コード: 1289-028n

作品名:ショパン:Pf協奏曲1番Op.11 | Pf協奏曲2番Op.21, マズルカ40番 ヘ短調Op.63-2, マズルカ49番 ヘ短調Op.68-4, ワルツ14番 ホ短調Op.Posth.
演奏者:E.キーシン(pf)D.キタエンコ指揮ソビエト国立so.
プレス国:旧ソ連, Soviet Union
レーベル:MELODIYA
レコード番号:C10 21837-9
M/S:ステレオ, stereo
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×2, Wジャケット入り2枚組, 2 single records
評価/レコード:8/6
評価/ジャケット:A
キズ情報:第1面4時に極小~小46+9回出る面スレあり
レーベルタイプ:【旧ソ連でのオリジナル世代】---赤/黒ゴシック, STEPEO ○○33, グルーヴガード厚, Made in USSR, ГОСТ 5289-80, TУ-なし, Repertoire group:Вторая-гр, .Price Code:なし, Год выпуска(発行年):なし, スタンパー/マトリクス:C10-21837 2-1/C10-21838 2-2・C10-21839 2-1/C10-21840 2-1 (ラウンド小文字スタンパー・MELODIYA通常タイプ), 露/英語表記・国内/輸出共用仕様, 1980年代のスタンパーによる1985年頃製造分, 旧番号存在せず, プレ・メロディア・レーベル/DL/SLレーベル存在せず, ゴシックレーベルの最初期分, ГОСТ 5289がある場合・ГОСТ 5289-80が最初(当盤), 最古レーベル・最厚プレス世代である, 更に古いマトリクス存在するか不明, モノラル存在せず, RIAAカーヴである, MELODIYA音源のMELODIYA製作プレス, モスクワ・アプレレフカ「Aprelevsky」アプリラフスキー工場製作, オリジナル世代, original generation
ジャケット:【旧ソ連でのオリジナル世代】---見開両面コートW(モスクワ・アプレレフカ), Made in USSR, 表記されたジャケット番号:C10 21837 008/C10 21839 002, Price Code:なし, 背文字:あり(黒色・白背景), 露/英語表記・国内/輸出共用仕様, ジャケ裏年号:Apt. なし Зак. No.9034, (P)なし(C)1985, 製作/印刷:Апрелевский Завод Грампластинок, オリジナル世代, original generation
トピックス:1984年3月27日モスクワ音楽院大ホール(live in the Grand Hall of the Moscow Conservatory)でのステレオ・ライブ録音, 録音技師: Peter Kondraschin, プロデューサー:Igor Slepnev, 1985年MELODIYA:C10 21837-9(当装丁世代)にて初リリース, これは初年度リリース分のオリジナル, ショパン:Pf協奏曲1番Op.11のみの1枚ものも存在する・C10 21837, マズルカ49番はパデレフスキ版では第51番でジャケットにはパデレフスキ版で表記されている, 演奏:★★★★★, 録音:★★★★

商品詳細:エフゲニー・キーシン(1971-)はモスクワでユダヤ系の家系に生まれる。旧ソ連生まれだが、2002年に英国籍、2013年にイスラエル国籍も取得している多重国籍者である。わずか2歳でピアノを学び始める。のちグネーシン音楽学校に進んで、アンナ・パヴロフナ=カントルに今日まで師事する。10歳でモーツァルトのピアノ協奏曲第20番(K.466)を弾いてデビュー、11歳で初リサイタルを開くなど、幼い頃から神童ぶりを発揮する。12歳の時、ドミトリー・キタエンコの指揮するモスクワ・フィルハーモニー管弦楽団で弾いたショパンのピアノ協奏曲が発売され、世界中の注目を浴びることとなる。以来、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ロンドン交響楽団、アバド、カラヤン、小澤など多くの著名オーケストラ、指揮者と共演。名教師に師事することもなく、コンクール入賞歴こそほとんどないが、国際的ピアニストとして世界各地で演奏、更に録音活動を積極的に続けている。1986年、初来日し全国ツアーを行う。2003年再来日。いずれも好評である。1990年9月30日にカーネギー・ホールにおいて、アメリカ・デビューを果たす。当日の演奏は絶賛され、CD化されて、世界的名声をいっそう確かなものとした。当時TVなどでも放映され、小学生の子供が堂々とオーケストラと協奏曲を共演している姿に驚いた方は多いだろう。これらショパンは1984年3月にまとめて録音され、デビュー録音ではなかったが、12歳の子供の演奏のライブ映像も世界に配信され大いに世界を湧かせた。ショパン:Pf協奏曲1番のみの単売も存在するが、同じ日の録音なので2枚組が良いだろう。この録音でキーシンの育ての親というべきアンナ・パヴロフナ=カントル(1923-2021)に注目が集まり、グネーシン音楽学校における強烈な英才教育が明るみに出た。それが是であるか論争にはなったが、何故旧ソ連にだけ、若くして天才的なピアニストが多数出現するのか理由が明らかになったのである。実際演奏を聴いてみると12歳とは信じがたい表現力とパワーがあり、一流のピアニストと全く同格、いやそれ以上の実力の持ち主であると理解できる。天才的超人の出現を音で確認できる!

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