[DECCA] G.ショルティ指揮ウィーンpo. K.フラグスタート, M.シェヒ(s) S.スヴァンホルム(t) O.エーデルマン(bs-br)他 / ワーグナー:楽劇「ワルキューレ」(第3幕全曲), 第2幕~死の告知
商品コード: 1295-010
商品詳細:1957年、ショルティ最初の正式なSXLでのワーグナーの録音。全曲録音に先立ち、ワルキューレの一部を収録。目の覚める空前絶後の痛快な録音で、後の全曲録音がかすむほど。SXLとカルショウの高音質録音の傑作の一つだ。ショルティはこの当時、SXL 2000番台のデモンストレーションのような録音に付き合わされており、ここで遂に本当に自分のやりたいことができた、そんな彼の喜びさえも感じられる。天を駆け昇るごときエネルギーが伝わる。よく知られているが、大作「ニーベルングの指輪」は元々クナッパーツブッシュ( 1888 - 1965)で録音される予定であった。初のステレオによる全曲録音を任されたDECCAのプロデューサー、ジョン・カルショウはこの時若干34歳、クナッパーツブッシュは天にそびえる大指揮者。カルショウの思い通りになるような相手ではなかった。当時はプロデューサーより大物指揮者は格段に地位が上である。録り直しなどもっての他で、とてもクナッパーツブッシュで「ニーベルングの指輪」全曲を録音するのは不可能であった。クナッパーツブッシュ自身、既に高齢であり1957年時点で70歳。最後まで指揮が出来る保証もなかった。クナッパーツブッシュの性格は粗野で、不愉快な激しい性格も知られており恐れられていた。マエストロの怒りは発火しやすく、かなり直截な言葉の脱線も珍しくなかった。著名なソプラノ歌手、ビルギット・ニルソンが報告したように、歌手はしばしば演奏中でさえもミスのために彼から大声で下品な言葉を浴びせられたという。 オーストリアのジャーナリスト、アンドレアス・ノヴァークはクナッパーツブッシュを「不機嫌そうな人道主義者」と呼び、非常に適切に特徴付けている。この事態を打破すべくカルショウは、当時まだ有名でもなく、強い発言権を持たないが誠実であり、粘り強い努力家である指揮者ゲオルク・ショルティ(1912- 1997)を起用した。1957年時点で彼は45歳前後。カルショウは経営陣を説得し、長丁場となる「ニーベルングの指輪」をショルティに託した。この録音はそのスタートとなった、いわばお試しのような部分録音である。この録音の出来で「指輪」の担当が変わる可能性さえ秘めた重要な録音だったが、ショルティは見事期待に応え「指輪」の担当を手にしたのであった。御大クナッパーツブッシュと比べてしまえば貫禄という点でまだまだな印象は残るが、当時、このレベルで「指輪」が発売出来れば文句は無かったと思われる。この録音の翌年である1958年~1965年までを費やして録音史上燦然と輝く偉業である初のステレオによる「ニーベルングの指輪」が完成した。ショルティは世界的大指揮者の仲間入りを果たし、クナッパーツブッシュの仕事は激減した。この録音史上に残る事件のきっかけを作ったのが当録音である!コッポラ「地獄の黙示録」で一躍有名になった「ワルキューレの騎行」で始まる。
ショルティの在庫一覧へ