[VOX] G.カサド(vc) / バッハ:6つの無伴奏Vc組曲B.1007~1012
商品コード: 1295-002
商品詳細:バッハ:無伴奏チェロ・ソナタ録音について語る時に絶対に外せない録音が1957年のカサドによるモノラル録音だろう。ガスパール・カサド( 1897 - 1966)はスペイン・バルセロナ生まれ。7歳でチェロを学び始め、バルセロナ音楽院に通っていた彼は9歳の時に聴衆の中に交じっていたカザルスに見い出され、1907年に一家でパリに出る。以降カザルスの薫陶を受ける。地元バルセロナが街をあげて、カサド少年がパリのカザルスの下で音楽修業を続けることができるようにと奨学金を与えてくれた。職業演奏家としての活動は、第一次世界大戦中に始まり、欧米各地で演奏活動や録音活動を繰り広げた。第1次世界大戦が勃発する1914年までの7年間、カザルスの下でのチェロの修行に並行してドビュッシー、ラヴェル、サティらと交流し、またカゼッラ、トゥリーナ、アルベニスといった作曲家たちとも親しく接した。その間、父ホアキンは、ガスパールとその兄アグスティンと組んで「トリオ・カサド」を結成し室内楽を楽しみ、また、兄アグスティン、キューバの作曲家/ピアニストのホアキン・ニンと組んで「トリオ・ニン=カサド」を結成した。1923年、スペインでは軍事クーデターでプリモ・デ・リベーラ将軍による独裁政権となって、カサドはローマに移住。以降、亡くなるまでの43年間、イタリアを拠点として活動した。1958年には初来日。その時知り合った日本人女性ピアニストの原智恵子と結婚。カサドは62歳であった。1966年フィレンツェで起きた大洪水の、被害者救済コンサートを連続的に開催したが、その無理がたたったのか心臓発作に倒れる。医師は数ヵ月の療養を勧告したが彼はこれを無視して演奏会を続け、12月24日、クリスマスを過ごすために訪れていたマドリードで2度目の心臓発作に襲われ亡くなる。カサドの演奏はまずその骨太の音色に特徴がある。綺麗な音ではないがパワーと奥行きのあるチェロらしい無骨な強い音である。表情は自然体だがテンポは揺れ動き、豪快で男性的でありつつも繊細さも備える演奏である。スケールに対してあまり欲張らず、まるで独り言のような気分さえ感じる内省的なスタイル。ステージで映える演奏ではない。一言でいうなら枯淡の境地を感じる。このタイプの演奏は聴くたびに異なるイメージを運んでくる。一度聴いても、掴みどころのないように感じる不思議な魅力を持った無伴奏チェロ・ソナタである。フランス・ジャケットに米国盤が入る形がフランス発売分の正常な形。
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