[DECCA] R.クレスパン(s) J.ウストマン(pf) / 歌曲リサイタル/シューマン:メアリー・スチュアート女王の詩Op.135, ヴォルフ(6曲), ドビュッシー:ビリティスの3つの歌, プーランク 他
商品コード: 1296-020
商品詳細:クレスパンの大変珍しいピアノ伴奏の歌曲集。2007年クレスパンが亡くなった際、サルコジ大統領は「フランスの偉大な歌声が喪われた」と声明を発表。日本ではワーグナー歌手のイメージが強かったが、確かに彼女の声量は野外コンサートで「ジェット機の轟音にも負けなかった」との伝説がある。しかし、しんみりした歌曲はパワーのある歌手ほど苦手とするが、クレスパンは違う。繊細な心の機微をそっと歌える見事なソプラノだった。何より美声!レジーヌ・クレスパン(1927– 2007 )はフランス・マルセイユで生まれのソプラノの歌手。19歳でパリに行き、パリ音楽院でスザンヌ・セボン=ヴィズール、ポール・カバネル、ジョルジュ・ジュアットらに師事。1950年アルザスのラン国立オペラ座と契約した。1951年にパリ・オペラ座からオファーを受け契約に至る。しかし1年で打ち切られ、1952年にパリを離れ、フランス各地のオペラ・ハウスで演奏した。彼女はマルセイユ、ニーム、ニース、リヨン、ボルドー、トゥールーズなどで歌った。1955年、カール・マリア・フォン・ウェーバーの『オベロン』のレジア役でパリ・オペラ座に戻った。パリの聴衆に熱狂的に迎えられ、クレスパンはその後3年間、ジュゼッペ・ヴェルディの『オテロ』のデズデモーナ役、ヴェルディの『仮面舞踏会』のアメリア役、 『シグルズとマダム』のブリューネヒルト役などパリの舞台で凱旋公演を続けた。1957年のフランシス・プーランク作『カルメル会修道士の対話』のパリ初演などに出演。1958年からはワーグナーをドイツ語で歌う為にレッスンを重ねドイツ語の役もこなし、国際的なオペラのキャリアを事実上スタートさせた。スカラ座、ウィーン国立歌劇場、グラインドボーン音楽祭と1960年のロイヤル・オペラ・コヴェント・ガーデンでのデビュー、1962年頃は米国デビューも果たした。1960年代はメトロポリタン歌劇場での数年間、国際的なオペラの舞台で活躍し続けた。1970年代に入ると声の変化に適応するためにメゾ・ソプラノ歌手のオペラ役を演じ始める。しかし彼女の声の音色は初期の歌手時代からあまり変わっておらず、したがって彼女はこれらの役に典型的なメゾ・ソプラノの音とは異なる音をもたらした。とにかく、彼女は新しいレパートリーの選択で好評を博した。1989年に歌手活動を引退するまで多くの舞台で活躍し、録音も残した。フランス語は勿論、イタリア語、ドイツ語を完全に操り、よく伸びる温かく美しい声で多くのファンを魅了した。歌曲の上手い不世出のソプラノだった。ピアノのジョン・ウストマン(1930-?)は米国ミシガン州出身の伴奏ピアニスト。パヴァロッティ、ニルソン、シュヴァルツコップなどとの共演がある。
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