[DECCA] C.ミュンシュ指揮パリ音楽院o. / チャイコフスキー:交響曲6番Op.74「悲愴」
商品コード: 1303-045
商品詳細:1951年の初出発売。1891年生まれのミュンシュは、1937年から46年まで、第11代パリ音楽院の首席指揮者の座にあり、クリュイタンスに後任を譲った。'49年~'62年まで、ボストン響の常任となったが、勝手知ったるパリ音楽院o.は、ミュンシュ自身、最も信頼を寄せたオケであったはずだ。この録音の'50~'51年頃のパリ音楽院は、世界でもトップレベルのオケ。ステレオが空々しく感じられる程の濃密な空気感とスタイリッシュな表現に、超が付く名演と思う!LXT 2544が初出だが希少盤である。通常のミュンシュの「悲愴」といえばボストンso.との1962年3月12日のRCA録音を指すのではないだろうか?シャルル・ミュンシュ(1891 - 1968)は当時ドイツ帝国領であったアルザス地方ストラスブールに生まれ、のちにフランスに帰化した指揮者。1929年にパリで指揮者としてデビューし、1937年にパリ音楽院管弦楽団の指揮者となって、1946年まで在任した。1949年にボストン交響楽団の常任指揮者に就任、1962年までその座にあって、数々の演奏を行った。ボストン交響楽団を辞した1962年にまたフランスに戻りフランス国立管弦楽団を1968年まで務め、そのままパリ管弦楽団首席指揮者となるストーリーはご存じと思われる。従ってミュンシュの初期録音はRCAから始まるものだと思っておられる方が多いのは当然だろう。ボストンso.は1949年からなので、これは渡米前にパリで録音した貴重な音源である。1948年という時代からSP音源ではないかと思われる。LP化されたのは1951年でミュンシュが米国に渡った後にLP化された。1940年代という事もあり、多くの録音はないのが現実。しかし聴いてびっくりでデータが無ければこれが1948年とは信じ難い現代的なセンスに溢れた美しい演奏である。ミュンシュは当時こんな演奏が出来た数少ない指揮者だった。米国が幾ら積んでも欲しがったのは当然と言えそうである。全体に早めのテンポでオーケストラの各パートをパリ音楽院の教授達が担当したらしい。クライマックスでどんどんテンポを早め楽章ごとの変化にミュンシュの個性が出ている。他にパリ音楽院o.とはラヴェル:ボレロも録音していた。録音は英国DECCAチームによる器材持ち込み録音らしい。どおりで1950年中期頃のLXT番号と殆ど変わらない音質が楽しめる。古い録音だがクオリティは高い。1962年のボストン交響楽団との再録音は逆に遅いテンポの重たい演奏になっている。ACL 20でも十分に良い音質で楽しめる!
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