[DECCA] J.クリップス指揮ロンドンso. / メンデルスゾーン:交響曲4番Op.90「イタリア」, シューマン:交響曲4番Op.120

[ 1303-042p ] Mendelssohn, Schumann - Josef Krips - Symphony No. 4 In A Major ("Italian") Opus 90 / Symphony No. 4 In D Minor Opus 120

通常価格:¥ 3,300 税込

¥ 3,300 税込      

数量


商品コード: 1303-042p

作品名:メンデルスゾーン:交響曲4番Op.90「イタリア」 | シューマン:交響曲4番Op.120
演奏者:J.クリップス指揮ロンドンso.
プレス国:フランス, France
レーベル:DECCA
レコード番号:LXT 2887
M/S:モノラル, monaural
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:7/6 : 僅かな難あり・問題ないレベルだが6とした
評価/ジャケット:A
キズ情報:B面(シューマン)6時に小7回出る点あり・影響小さいが6とした
レーベルタイプ:【フランスでのオリジナル】---橙/金外溝, 12時方向にMade in France(横書き金文字), 10時に破線〇 LONG PLAYNG 33 1/3 RPM, 2時にffrr耳マーク, フラット重量, 表記されたレコード番号:LXT 2887, Price Code:Ⓐ, Rights Society:DP, (P)なし, スタンパー/マトリクス:CA ARL 1890-3B /CC ARL 1891-2B (ストレート小文字スタンパー・英DECCA新タイプ), DECCA規格モノラル製造を示すCA ARL/CC ARL***で始まりレコード番号を含まない専用マトリクス使用, 補助マトリクス(3時):フランス盤にはない, 再補助マトリクス(9時):1/2, カッティング担当者:イニシャルBはRon Mason(ロン・メイソン)を示す, 1950年代製造のスタンパーによる1955年頃製造分, フランスに金内溝レーベル存在せず, 金外溝レーベルの最初期分, フランスでこれより古いレーベル存在せず, フランスでの最古レーベル・最厚プレスである, 更に古いマトリクスは存在しないと思われる(3B/2Bが最古と思われる), RIAAカーヴではない, ステレオ存在せず, 英DECCA音源の仏DECCA製作プレス, カッティング担当の前任者:なし, 工場:Studios De La Société Française du Son., フランスでのオリジナル, original in Fr.
ジャケット:【フランスでのオリジナル】---折返紙ペラ, 6時に黒ベース楕円DECCA(白文字), 5時にffrr耳マーク, 表記されたジャケット番号:LXT 2887, Price Code:Artistique, 背文字:なし(初期の証拠), (P)(C)なし, ジャケ裏年号:なし, 当社入荷履歴上で最古の年号/存在が確認された年号:不明(年号記載ないがフランスでは当ジャケットであると思われる), 製作:Disques Decca. Paris, 印刷:Imprimerie Mazarine-Paris, 折返紙ペラタイプの最初期分, フランスでこれより古いタイプ存在せず, フランスでのオリジナル, original in Fr.
トピックス:メンデルスゾーン:1953年10月/シューマン:1952年11月ロンドンでのモノラル録音録音, 録音詳細不明, 英国では1954年The Decca Record Company Limited. Londonによりコピーライト登録・同年4月にDECCA:LXT 2887(金内溝ツヤレーベル・フラット盤)にて初リリース→1955年頃同一番号(銀外溝レーベル・フラット盤)→1956年頃同一番号(銀中溝レーベル・グルーヴガード盤)--と変遷する, フランスでは1955年頃仏DECCA:LXT 2887(当装丁)にて初リリースと思われる, モノラル・オーディオファイルLP, 演奏:★★★★★, 音質:★★★★+

商品詳細:メンデルスゾーンが1953年、シューマンが1952年の録音。1902年ウィーン生まれのヨーゼフ・クリップス。当時DECCAにはミスター・ウィーンことクレメンス・クラウスがいたが、彼はウィーンを出ることが無かった。そんなDECCAの窮状を救ったのがクリップス。彼は早速'50~'54年にロンドンso.の首席に就任、DECCAにウィーン直伝の録音を多く残した。ロンドンso.を強力なオケにしたのはクリップスに他ならない。ヨーゼフ・クリップス(1902 - 1974)はウィーンの生まれの指揮者。弟のハインリヒ・クリップスも指揮者として知られる。1933年にウィーン国立歌劇場の常任指揮者に就任、また1935年にウィーン国立音楽大学の教授に就任した。1938年3月のオーストリア併合の後、オーストリアを去ることを強いられ、ベオグラードに移り、ユーゴスラビアが第二次世界大戦に一時期巻き込まれるまで、地元のオーケストラで働いた。大戦終期には食品工場で働いていたが、「こっそりオペラの稽古をつけたり、プロンプター席に入って指示を出していた」という伝説もある。父親はユダヤ人であるため、ナチスに協力しなかった為、早く楽団に復帰したがウィーン交響楽団首席指揮者に就いたのは晩年の1970-1973年である。角のとれた優美なクリップスとウィーン・フィル(国立歌劇場管弦楽団)の芸風は英国でも評価され、1948年からDECCAへ録音を開始した。1949年頃ウィーン宮廷合唱団、管弦楽団と録音したモーツァルト:レクイエムは今もって名盤と名高い。また1950年のモーツァルト:オペラ『後宮からの誘拐』はLPにおける初の全曲録音であった。モーツァルトの交響曲は1949年頃の41番、1951年の31/39番、1953年の40番の4曲をロンドンso.と録音している。これはクリップスがロンドンso.の首席指揮者を務めた1950-1954年と一致していて、最初の黄金時代である。1946年11月にデッカに入社したプロデューサー:ジョン・カルショウが力をつけてくると、クリップスを高く評価しなかったカルショウに冷遇されるようになり、1963年にサンフランシスコ交響楽団の音楽監督に就任して、DECCAとは疎遠になってしまう。1957年4月イスラエル・フィルハーモニーと録音した交響曲第35番「ハフナー」、第41番「ジュピター」がDECCAに入れたモーツァルトの交響曲の最後となった。1970年代に入るとPHILIPSに移籍し、1972年~1973年までにアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮してモーツァルト交響曲集(第21-41番)を録音した。翌1974年ジュネーヴにて没。政治的理由から本懐を遂げることができなかった指揮者だが、DECCAでのロンドンso.の首席指揮者時代の録音は是非とも聴いておきたい。クレメンス・クラウスの後任でニュー・イヤー・コンサートの指揮者を任された経歴がある。

クリップスの在庫一覧へ




【特設ページへ移動】







SACD特設ページ





・公式ブログ(下の画像をクリック!)


・公式Facebook(下の画像をクリック!)