[La Voix De Son Maître] R.ファザーノ指揮ヴィルトゥオージ・ディ・ローマ / コレッリ:合奏協奏曲Op.8-2, 6~8「クリスマス」
商品コード: 1304-033
商品詳細:アルカンジェロ・コレッリ( 1653 - 1713)はイタリアの作曲家。はアレッサンドロ・スカルラッティより7年、アントニオ・ヴィヴァルディより25年、ジョージ・フレデリック・ヘンデルより32年年長にあたる。ヴァイオリニストでもあり、48曲のトリオ・ソナタと、ヴァイオリンと通奏低音のための12曲のソナタならびに12の合奏協奏曲が名高く、出版された作品のうち、作品1から作品6までが全て器楽曲である。ヴィヴァルディの作品3『調和の霊感』(1711年)もコレッリの作曲スタイルを受け継いでいる。バッハはコレッリの作品を研究し、コレッリの作品3(1689年)の主題に基づきオルガンのためのフーガBWV.579を作曲した。またコレッリは、ジョージ・フレデリック・ヘンデルに最も影響を与えた人物でもある。12の合奏協奏曲は今でも頻繁に演奏される曲であり、作品6-8である8番は「クリスマス協奏曲」として有名。コレッリの全作品は意外なほど少なく、多くの作品を破棄したと考えられているが、事の真相は不明のままである。最有力説は「パトロンが作品の推敲を許し、納得がいくまで書き直しできる環境を与えた」とされているが、彼の書式の密度の高さを考えるとあり得ない話ではない。演奏のレナート・ファザーノ(1902-1979)はイタリア・ナポリ生まれの指揮者、音楽学者であり、特に18世紀のイタリア作品に深い関わりを持っていた。1941 年に室内オーケストラ Collegium Musicum Italicum(1947-52)を設立し、後にI Virtuosi di Roma(ヴィルトゥオージ・ディ・ローマ・1953-)と改名した。この小さなオーケストラはイタリアのバロック音楽の普及に貢献した。コレッリ、ヴィヴァルディ、ペルゴレージ、バルダッサーレ・ガルッピ、アレッサンドロ・マルチェッロ、ジョヴァンニ・パイジエッロなどの作曲家の作品をヨーロッパで幅広く指揮した。さらに、1957 年に「ピッコロ テアトロ ミュージカル イタリアーノ」を設立。1971 年、室内オーケストラ「ヴィルトゥオージ ディ ローマ」とチェリストのラドゥ アルドゥレスクとともに南部アフリカを巡るツアーを実施し、好評を博した。ヴィルトゥオージ ディ ローマの音楽的なアプローチは、アンジェロ・エフィリキアンによって以前に設立されたイタリアの弦楽アンサンブル、スクオラ・ヴェネツィアーナから来ている。グループのほぼ全ての楽器演奏者の教師であったヴェネツィアのヴァイオリニスト、ルイージ・フェッリ(1903 ~ 1975 年) の教育的監督のもと、ヴィルトゥオージ ディ ローマ は常にレナート・ファザーノと演奏した。レナート・ファザーノは、1979 年に亡くなるまで一貫してこの立場を展開した。彼のバロックの文体概念は、カール・ミュンヒンガーを中心としたドイツ学派の公準から完全に切り離されたイタリア独自のものであった。最初の録音は米DECCAに1951年頃ヴィヴァルディの作品を録音。その後1955年頃からEMIに移籍し「イ・ムジチ」より以前から欧米全域にイタリア・バロックを広めた。これは1963年頃EMI系で発売された録音で同じローマで1951年発足の「イ・ムジチ」とは音楽性が大きく異なる。明るい「イ・ムジチ」に比べ「ヴィルトゥオージ ディ ローマ」はラテン気質ではあるが明るさを全面に出した団体ではない。1980年、ファザーノの死後、当初の編成は2つのアンサンブルに分裂した。1つは「イ・ヌオーヴィ・ヴィルトゥオージ・ディ・ローマ」で、常に指揮者なしで演奏した。もう1つの「ボッケリーニ・アンサンブル」は常にルーマニアのオクタヴィアン・アンヘルの音楽的指揮の下で演奏した。後者のグループはすぐにI Solisti Italianiと改名した。
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