[CBS] V.ホロヴィッツ(pf) / 1965年カーネギーホール・リサイタル-2/スクリャービン, ショパン, ドビュッシー, モシュコフスキ, シューマン
商品コード: 1305-051
商品詳細:ヒストリック・リターンと米国盤にはタイトルされたホロヴィッツ(1903– 1989)の一時引退からの12年目の復帰コンサートのライヴ録音である。同日分の音源がLP2枚に分けて発売された。これはそのVol.2に当たる。ドイツでは3年後の1968年Wジャケット入り2枚組もリリースされたが単売が初出となる。ホロヴィッツのアメリカデビューは1928年。同じくアメリカデビューを飾ることになっていたトーマス・ビーチャムの指揮でチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を演奏した。SP期から米国で多くの録音を行い、1940年米国に居を構え、1944年には市民権を獲得した。しかし1953年のアメリカデビュー25周年記念リサイタル後間もなく突然すべてのリサイタルをキャンセルすると、それから1965年まで12年もの間コンサートを行わなかった。12年振りのリサイタルは「ヒストリック・リターン」として知られ、ホロヴィッツ健在を世に知らしめた。1960年代から1970年代前半にかけてCBSにて意欲的に録音も行っており、この時期のショパン、シューマン、ラフマニノフ、スカルラッティなどには高い評価が与えられ、名盤の一つに数えられている。1970年代後半にRCAに戻るまでの15年程度は米COLUMBIAに籍を置いて精力的に録音を重ねた。これが米COLUMBIAでの最初の録音と思われる。この模様はCBS放送でのTV放映もされ全米にセンセーショナルを巻き起こしたライヴである。演奏はミスタッチなどが目立ち、万全でないコンディションを感じさせるが多くのファンに喜びを与えたことだろう。マスの国、米国ならではの現象だろう。評価は分かれるところだが歴史的なインパクトの大きな録音であることは確か。この録音の後は毎年のようにライヴがTV用に録音されることとなる。これはドイツで最初に出たプレスと思われる。米国盤より音質は柔らかい。開演午後3時38分と開演時間まで記録された有名なコンサートである。1966年4月17日にもカーネギー・ホールでのコンサートが行われ大盛況だったらしい。1985年、ホロヴィッツはDGGと専属契約を結び再びレコーディング活動を始めた。結果的に最後のレコーディングとなった小品集のレコーディング(「ザ・ラストレコーディング」として発売)を終えた4日後の1989年11月5日、自宅で食事中に急逝、ミラノにある義父トスカニーニの霊廟に共に埋葬された。
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