[DECCA] F.グルダ(pf) K.ベーム指揮ウィーンpo. / ベートーヴェン:Pf協奏曲1番Op.15
商品コード: 1308-057
商品詳細:グルダがまだ20代の頃の録音。その若さで'50年代当時DECCA社に抜擢されたという事は、余程将来性を見込まれたのだろう。しかしグルダはDECCAに長く留まらず、レーベル放浪者のようになる。またジャズへの傾倒も異端児扱いされるきっかけとなった。まだ青年だった頃のグルダを時間を遡って見られる我々はある意味神の気分だ。実に正統的に取り組む姿が微笑ましい一音一音は輝いていて非凡性を感じる。当初DECCAでは最初のべートーヴェンのPf協奏曲全集はバックハウス/ウィーンpo.で決まっていた。--というのが定説らしい。グルダはDECCAから最初のべートーヴェン:ピアノ・ソナタ全集を出すのは自分だと考えていたらしい。契約のようなものがあったかは不明だが、1949年にはソナタ14番/31番を録音しており、1950年11月にはソナタ26番/エロイカ変奏曲も録音している。1951年にはピアノ・ソナタ29番と既に4+1曲を録音していた。口約束だったのかもしれない。しかしグルダの予定を反して1950-54年にバックハウスが初回ピアノ・ソナタ全集を録音してしまった。グルダは1953年-1958年9月(大半が1953-4年)に一応ピアノ・ソナタ全集を録音している。しかしDECCAは1番~10番までリリースしたがそれ以降は発売しなかった。録音はあるのに発売しなかった理由は、勿論バックハウスが既に発売しており、モノラル期に2種のピアノ・ソナタ全集は不要と考えたからだろう。グルダがDECCAを去った最大の原因はべートーヴェン作品の発売を巡って競合していたバックハウスに先を越され、蔑ろにされたために違いない。DECCAは後に起こるであろうトラブルを見越して、バックハウス/ウィーンpo.で決まっていたPf協奏曲全集~1番をグルダに譲ったと見るのが合理的判断である。バックハウスは1950年~1954年に協奏曲2~5番の4曲(クレメンス・クラウスとカール・ベーム)で、誰が見てもこれはおかしいのである。グルダの1番は1951年、時期を見ればこの録音の存在で謎であったバックハウス/ウィーンpo.のPf協奏曲1番の謎が解けたという事になる。バックハウスにしてみれば、何故1番を取り上げるのか?となるだろう。時代を鑑みればレコード会社の態度は当然であるが、競合するバックハウスとグルダのコントロールを誤ったとしか言えない状況をイメージしてしまう。さて、フリードリヒ・グルダ(1930 - 2000)はウィーン生まれの鬼才。46歳も年齢の異なる2人が確執した点は意外といえる。しかしグルダはバックハウスより先にソナタ録音をスタートさせた事実に、DECCAの不手際が責められてしかるべきだろう。グルダの願いが叶ったのは1971年でH.シュタイン/ウィーンpo.とPf協奏曲全集録音がDECCAで完成した。しかしグルダはDECCAに戻ることはなかった。殆ど知られていないこのPf協奏曲1番。驚くほど音質が良く、ベームが颯爽と元気よく快活に鳴らす。バックハウスとの3番より良いような気がする。相手が若造なので遠慮くなく振ったという感じ。グルダのソロは意外にも大人しい。ベームと張り合うどころか、グルダの方から協調姿勢だが、次第に熱を帯びてきて独特のリズムが出てくる。バックハウスは全てに落ち着いた安定を見せたが、グルダの美点は快活さである。この時期まだグルダ節こそ控えめだが、1番は安定より、この乗りが良い。オケ、ソロ共に完全にバックハウス/ベームの向こうを張った、美事な演奏!知られざる名演!ピアノ・ソナタ全集はDECCAを諦め1967年にAMADEOに録音、翌1968年に発売した。尚、1953-4年にウィーンで録音された放送音源が妻のユーコ・グルダが発売を許可し、キングレコードから出されたらしい。それを入れると計3回の全曲録音がある。
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