商品コード:1121-027pc[DECCA] E.v.ベイヌム指揮ロンドンpo. コンセルトヘボウo./ヘンデル(ハーティ編):組曲「水上の音楽」, 「王宮の花火の音楽」
商品コード: 1121-027pc
商品詳細:これは1950年、組曲「水上の音楽」がロンドンで、1952年、「王宮の花火の音楽」がアムステルダムで録音されヘンデル同士のカップリングで発売された LXT番号。別に「水上の音楽」+「モーツァルト:交響曲35番K.385ハフナー」というカップリングで発売されたLXT 2534というLPも存在する。エドゥアルト・ファン・ベイヌム( 1901- 1959)はオランダ東部の町アーネムの音楽一家のもとで生まれ、幼少の頃から兄についてヴァイオリンとピアノの手ほどきを受け、16歳でアルンヘム管弦楽団のヴァイオリニストとして入団し、その傍ら指揮の勉強を始め、翌年にはアムステルダム音楽院に入学し、ピアノ、ヴィオラ、作曲を学ぶ。戦後の1945年、メンゲルベルクがナチスへの協力の廉でスイスに追放されると、ベイヌムはメンゲルベルクの後を継いで、コンセルトヘボウ管弦楽団の音楽監督兼終身指揮者に就任した(1945-1959)。またコンセルトヘボウ管弦楽団とロンドン公演を行い、1949年から1951年にかけてロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任。1954年にはフィラデルフィア管弦楽団を指揮してアメリカへのデビューを果たした。1956年から1958年にかけて、ロサンジェルス・フィルハーモニックの終身指揮者として迎えられた。1940年代にロンドンでビーチャムの助手を務めており、ヘンデル作品の早い段階での録音はその影響だろう。1946年から1953年にかけてイギリスDECCAと、1954年から1958年までオランダPHILIPSに契約があった為、DECCA録音にはロンドンpo./ロンドンso.とアムステルダム・コンセルトヘボウo.を両方を指揮して30枚ほどのLPを残している。1959年、健康に恵まれなかったベイヌムがわずか57歳で亡くなってしまうとコンセルトヘボウoでは世継ぎ問題が勃発し大変な事態となったことはご承知の通りである。しかし日本でコンセルトヘボウo.といえば古いメンゲルベルクか後のハイティンクばかりに焦点が当てられ最大の功労者であり実力者であるベイヌムが語られることがなかった。全くお粗末なことであり、当時のレコード関係者にモノ申すべきである。日本でも2010年を過ぎた頃から一部にベイヌム再評価の機運が高まったが結果は芳しくない。1950年代初頭のDECCAにこれだけの数の録音を残した指揮者が何故未だに正しい評価をされないのだろう。当時のレコード関係者は猛省すべきである。だから当社はベイヌムの真の実力をプッシュしてゆく所存である。
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