[DECCA] B.ブリテン指揮 カッチェン(pf)/ ブリテン:シンフォニア・ダ・レクイエムOp.20, 左手Pfと管弦楽のための主題と変奏(Diversions)Op.21

[ 1183-043p ] Benjamin Britten , Julius Katchen ‎– Britten: Sinfonia Da Requiem Opus 20 / Diversions For Piano (Left Hand) And Orchestra, Opus 21

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商品コード: 1183-043p

作品名:ブリテン:シンフォニア・ダ・レクイエムOp.20, 左手Pfと管弦楽のための主題と変奏(Diversions)Op.21
演奏者:B.ブリテン指揮デンマーク国立放送so(Op.20)/J.カッチェン(pf)B.ブリテン指揮ロンドンso.(Op.21)
プレス国:英国, United Kingdom
レーベル:DECCA
レコード番号:LXT 2981
M/S:モノラル, monaural
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:7
評価/ジャケット:A
キズ情報:
レーベルタイプ:【英国での第2版】---金ツヤ外溝, 12時にMade in England, フラット重量, 表記されたレコード番号:LXT.2981, Rights Society:Hawkes & Son, (P)なし, TAX Code:N/T(1953年4月~1955年10月を示す), スタンパー/マトリクス:ARL 2287-2A/CA ARL 2286-3A (ラウンド大文字スタンパー・DECCA旧タイプ), DECCAモノラル製造を示すARL***で始まりレコード番号を含まない専用マトリクス使用, マトリクスのAはGuy Fletcher (ガイ・フレッチャー)のカッティング担当を指す, 補助マトリクス(3時):-/BA, 再補助マトリクス(9時):12/14, 1950年代のスタンパーによる1955年頃の製造分, 旧番号存在せず, 金ツヤ内溝レーベル存在する(1954年分), これより古いレーベル存在する, 最古レーベル・最厚プレスではない, 更に古いマトリクス存在すると思われる, これより古い3時存在する, カッティング担当の前任者:なし, ステレオ存在せず, RIAAカーヴではない, 英DECCA音源の英DECCA制作プレス, 工場:Decca Record Co. Ltd., Pressing Plant, UK., 第2版, 2nd issue
ジャケット:【英国でのオリジナル】---ラウンド折返両面コートペラ"aka scalloped" (ホタテ貝の意味), 表記されたジャケット番号:レコード番号と同じ, Price Code:なし, 背文字:なし, (P)(C)なし, ジャケ裏年号:JU 55/4, 当社入荷履歴上で最古の年号/存在する番号:JU 54/11(当ジャケットではない・5ヵ月違い), 旧番号存在せず, ホタテ貝タイプの初年度分, 紙タイプ存在せず, これより古いタイプ存在せず, オリジナル, original
トピックス:シンフォニア・ダ・レクイエム:1953年デンマークでのモノラル録音, 左手Pfと管弦楽のための主題と変奏:1954年ロンドンでのモノラル録音, 録音詳細不明, 1954年The Decca Record Company Limited. Londonによりコピーライト登録・同年LXT 2981(金ツヤ内溝レーベル・フラット盤・ホタテ貝コートジャケット・裏54/11入り)にて初リリース, これは翌1955年頃製造の第2版が1955年4月製造のオリジナルジャケット(初年度ではない)に入るケースで古い初期盤, 当社初入荷の希少タイトル・大珍品, 2曲ともLP初録音ではないかと思われる

商品詳細:非常に珍しいモノラル期のブリテン作品集。A面の「シンフォニア・ダ・レクイエム」は1939年に日本政府の企画する皇紀2600年奉祝曲としてイギリス文化振興会から作品委嘱を受け、26歳のベンジャミン・ブリテンが作曲した交響曲。かつては鎮魂交響曲(ちんこんこうきょうきょく)の訳題が用いられていた。管弦楽のための作品で、声楽が入っているわけではない。「宗教的な理由や、皇室に対する非難を含むものと見なされた為に、日本政府より却下された」とされている。大筋ではその通説は当たっているが、実際にはブリテンの個人事情などが複雑に絡み合っている。ブリテンの回想では、委嘱条件は「1939年9月頃に『交響的作品ならば580ポンド(≒1万円(当時))、序曲や行進曲なら、その半分から3分の1の委嘱料を支払う。1940年5月までに東京に送れ」というものだったようである。承諾後はマイペースで作曲していたものの、1940年3月21日になり、日本側から作品の内容に関する問い合わせがあり、ブリテンはそれに返事をする一方、「馬鹿に完成を急がされている」とも語っている。また、その最中のインタビューで「曲の名前は『シンフォニア・ダ・レクイエム』というものになる。ただ、それはあくまで名前だけ。そして、両親の思い出に捧げようと思っている」と述べたが、何人かの友人が「その題名は日本政府を誤解させる可能性がある」と忠告してきている。初演は1941年3月29日、ジョン・バルビローリ指揮ニューヨーク・フィルハーモニックによる。そして日本初演は1956年2月18日、ブリテン自身の指揮NHK交響楽団による。B面はディバージョンズと題された、左手のピアノと管弦楽のための協奏曲。片腕のピアニストヴィトゲンシュタインのために当時の作曲家たちが遺した作品群の一つで、曲は13の細かいパーツに分かれている。どこかラヴェルのピアノ協奏曲の冒頭を思わせる部分もあり、「夜想曲」と題された一説など、たいへんロマンティックで美しい。当LPは当社でも初入荷の珍品で曲も珍しく通好みといえる内容。「シンフォニア・ダ・レクイエム」はピアノは参加しないが日本の皇室が関係した曲だけに興味のある方には面白いと思われる。尚、ブリテンは1956年日本初演の為に来日、「能」に接し、その優れた表現と劇的な神聖を、オペラ「カーリュー・リヴァー」に取り入れ、その文化を高く評価した。アンドレ・プレヴィンのデヴュー曲だったらしい。

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