商品コード:1224-052p[EVEREST] M.リンパニー(pf) / ラフマニノフ:24の前奏曲(全曲)

[ 1224-052p ] Moura Lympany, Rachmaninov – Twenty-Four Preludes


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商品コード: 1224-052p

作品名:ラフマニノフ:24の前奏曲(全曲)/1~5番 | 6~11番 | 12~18番 | 19~24番
演奏者:M.リンパニー(pf)
プレス国:米国, U.S.A.
レーベル:EVEREST
レコード番号:SDBR 3198/2
M/S:疑似ステレオ, electric stereo
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×2, 箱入り2枚組, 2 single records
評価/レコード:7
評価/ジャケット:A
キズ情報:
レーベルタイプ:【米国での再版】---橙/黒, グルーヴガード厚手, Rights Society:記載なし, (P)なし, Price Code:なし, スタンパー/マトリクス:SDBR 3198 A/SDBR 3198 B/ SDBR 3198 C/SDBR 3198 D (手書き文字スタンパー・EVERESTタイプ), EVEREST製造を示すSDBR***で始まりレコード番号を含む米国型専用マトリクス使用, カッティング担当:不明, 補助マトリクス:ARC-1-22-8(4面にあり), 再補助マトリクス:なし, 1960年代のスタンパーによる1968年頃の製造分, 米国でこれより古いレーベル存在する, LONDONレーベルに旧番号あり, これより古いレーベル存在する, 最古レーベル・最厚プレスではない, 更に古いマトリクス存在する, ステレオ存在せず, RIAAカーヴである, 英DECCA音源のEVEREST制作プレス, オートマチック・カップリング, 工場:不明, 米国での再版, re issue in USA.
ジャケット:【米国での再版】---外周4面黒クロス紙表紙箱, 表記されたジャケット番号:SDBR 3198/2, Price Code:なし, 背文字:あり(黒色・白青背景), (P)(C)なし, ジャケ裏年号:なし, 当社入荷履歴上で最古の年号/存在が確認された年号:不明(年号記載ないが米国では当ジャケットではない・米国の旧番号あり), 製作: Everest Records, 印刷:記載なし・米国製, 米国ではLONDONに旧番号・旧デザイン存在する, これより古いタイプ存在する, 米国での再版, re issue in USA.
トピックス:1951年ロンドン・ウェスト・ハムステッド・デッカ・スタジオでのモノラル録音, 録音詳細不明, DECCAの編集/カッティングマスター:Guy Fletcher/Ron Mason, 1952年頃Decca Record Co. Ltd., Pressing Plant.UKにてDECCA:LXT 2579-80(バラ2枚・金内溝レーベル・フラット重量盤・折返紙ペラジャケット入り)にて初リリース→1965年頃ACL 139-40に番号変更され当装丁で再リリース, フランスでも同年仏DECCA:LXT 2579-80にて初リリース, 米国では1952年LONDON:LLP 328/9(箱入り・2枚組・赤/金ツヤ内溝レーベル・フラット盤)にて初リリース, 1968年EVERESTが音源買取?でSDBR 3198/2(当装丁と思われる)にて再リリース・その際に疑似ステレオ化されたようだが実際に聴いてみるとほぼモノラル, 安価にて提供!

商品詳細:ラフマニノフの前奏曲で、きちんとまとまって出ているものは意外に少ない。その中でも、ラフマニノフを得手としているリンパニーのバラ2枚を決定盤としたい。彼女としては珍しいDECCA録音で、モノラルのみ。'50代前半期のDECCAプレス。音も良い。何より彼女の影を引いたピアノは魅力的。劇的でありながら内省的だ。尚リンパニーは計3回のラフマニノフ:24の前奏曲を録音している。3回の全曲録音があり、初回SP録音が1941年5月29日/9月25日/10月12日・1942年2月20日/6月4日/8月26日DECCAスタジオで行われ世界初録音となった(未LP化)。これは2回目の1951年モノラル録音で、3回目が1993年CDでの録音らしい。モーラ・リンパニー(1915- 2005)は英国コーンウォル出身の女性ピアニスト。ベルギーのリエージュで音楽を学び、奨学金を得てロンドンの王立音楽アカデミーに入学する。12歳で演奏会デビューを果たす。ロンドンで、クララ・シューマン門下のマティルデ・ヴェルネに、ウィーンでパウル・ヴァインガルテンに就いて研鑽を重ねる。1938年にウィグモア・ホールでロンドン・デビューを果たし、1938年にブリュッセルのイザイ国際コンクールで2位に入賞。第二次世界大戦までのイギリスで最も人気のあるピアニストの一人となった。1940年にアラム・ハチャトゥリアンのピアノ協奏曲の英国初演を行う。1992年に来日し、4月9日のサントリーホールでの演奏会、ショパンの24の前奏曲は、NHK-FMでも放送された。英国人女性ピアニストとして最初に国際的名声を得た人となった。1979年にチャールズ皇太子のため御前演奏を行い、同年CBEに、1992年にデイム(女性版ナイト)に列せられた。英国の女性のピアニストで「デイム(Dame)」に列せられたのは、マイラ・ヘスとモーラ・リンパニーだけである。長年モナコやフランスに暮らし、2005年フランスで臨終を迎えた。録音はほとんどがモノラルで、ステレオ期にはリンパニーは結婚と離婚を繰り返す中でピアニストとしては引退同様の状態になった期間が長かったようであることが要因らしい。但し完全に引退した訳では無い。1992年には来日し、その証拠となる。1990年代まで現役のピアニストとして活動をしていた。ラフマニノフ:24の前奏曲も1993年にCDに3回目を録音しているのである。リンパニーのラフマニノフは当時では考えられない程思い切りのよい豪快な演奏である。強い打鍵で叩く様子は現代のスタイルと同じであり、表現力は淀みなく深い。モーツァルトなどはナイーブな演奏だが、この曲では全く理想的な演奏であり、芸術的な面でこれを超える演奏はないと考える。唯一、技術面でロシアンスクールの進化があるだけだろう。米国でもこのような名演は様々な形で発売された。

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