[COLUMBIA] W.マウツジンスキ(pf) W.ロヴィツキ指揮ワルシャワ国立po. / ラフマニノフ:Pf協奏曲3番Op.30
商品コード: 1224-015
商品詳細:W.マウツジンスキ(pf)は英国COLUMBIAに2回ラフマニノフ:Pf協奏曲3番を録音している。初回は1954年P.クレツキ指揮フィルハーモニアo.とのモノラル録音で1954年に33CX 1161/FCX 453でリリースされた。2回目が当盤でMUZA原盤のポーランド・ワルシャワ録音。MUZAでは1961年にMUZA:SX 0124でリリースされ、そのライセンス製造分として英国COLUMBIAでもモノラル/ステレオで1964年に発売された。ヴィトルト・マウツジンスキ( 1914-1977)はポーランド・ワルシャワ近郊コジチンの生まれ。ワルシャワ音楽院でフェルッチョ・ブゾーニ門下のユゼフ・トゥルチンスキに師事した。1936年には、元ポーランド共和国首相で19世紀ロマン派ピアニストの黄金時代を知るイグナツィ・パデレフスキの薫陶も受けた。1937年に開かれたショパン国際ピアノ・コンクールで第3位に入賞した後、パリ音楽院に留学してイシドール・フィリップやマルグリット・ロン等の教えも受けている。また、パリではフランスのピアニストであったコレット・ガヴォー(Colette Gaveau)と結婚している。フランスが降伏するとコレット夫人と共にポルトガルに逃れ、そこで思いがけずグジェゴシュ・フィテルベルクと出逢う。フィテルベルクから南米での演奏旅行を持ち掛けられて1940年10月にアルゼンチンに行き、1942年4月にはアメリカ合衆国に移った。戦後はスイスに移住してその地に暮らした。英国COLUMBIAに多くのショパン録音を残している。1960年には、ワルシャワで開かれたショパン生誕150年祭で18回のコンサートを行って大評判となり、ワルシャワ・ショパン協会の名誉会員に選ばれ、ショパン・コンクールの審査員も務めた。翌1961年には初の来日公演を行った。これはポーランドに帰国した時の1960年頃の凱旋録音と思われ、この録音時、マウツジンスキは英国COLUMBIAに籍が在り、恐らく英国COLUMBIA=MUZAの共同制作だったと思われる。そのためMUZA音源ながら英国発売が行われたものと思われる。故国での凱旋録音の為だろう、落ち着いた表現で定評あるマウツジンスキのピアノはここでも安定感があり、ラフマニノフの名作といわれる3番をリラックスした気分で弾いている。
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