[COLUMBIA] W.マウツジンスキ(pf) W.ロヴィツキ指揮ワルシャワ国立po. / ラフマニノフ:Pf協奏曲3番Op.30

[ 1224-015 ] Rachmaninov, Malcuzynski, Witold Rowicki – Piano Concerto No.3 In D Minor

通常価格:¥ 3,300 税込

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商品コード: 1224-015

作品名:ラフマニノフ:Pf協奏曲3番Op.30
演奏者:W.マウツジンスキ(pf)W.ロヴィツキ指揮ワルシャワ国立po.
プレス国:英国, United Kingdom
レーベル:COLUMBIA
レコード番号:33CX 1871
M/S:モノラル, monaural
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:8/7
評価/ジャケット:A
キズ情報:
レーベルタイプ:【英国でのモノラル・オリジナル】---赤SC音符, 6時にMade in Gt Britain, グルーヴガード厚手, 表記されたレコード番号:33CX 1871, Rights Society:DP, (P)1964 (Recording first published), Tax Code:, スタンパー/マトリクス:XAX 2510 -1S/XAX 2510 -1S (ラウンド小文字スタンパー・EMI/Pathéタイプ), EMIグループCOLUMBIA系のモノラル製造を示すXLX***で始まりレコード番号を含まないフランス型英国専用スタンパー使用, 補助マトリクス(3時):G/A, 再補助マトリクス(9時):1/1, 1960年代のスタンパーを用いた1964年頃の製造分, フラット盤存在せず, 旧番号存在せず, 紺/金ツヤ音符レーベル存在せず, これより古いモノラル・レーベル存在せず, モノラルの最古レーベル・最厚プレスである, 更に古いマトリクス存在するか不明, ステレオ存在する, RIAAカーヴである, EMI=MUZA共同制作音源の英COLUMBIA製作EMIプレス, 工場:"The Old Vinyl Factory" Hayes・Middlesex・England, 英国でのモノラル・オリジナル, original for mono in UK.
ジャケット:【英国でのモノラル・オリジナル】---三方折返表コートペラ, 表記されたジャケット番号:33CX 1871, Price Code:なし, 背文字:あり(黒色・クリーム背景), ジャケ裏年号:なし, 当社入荷履歴上で最古の年号/存在が確認された年号:不明(年号記載ないが当ジャケットである), (P)1964(C)なし, 製作:Electric & Musical Industries Limired. Hayes・Middlesex・England., 印刷:Garrod & Lofthouse Ltd., これより古いモノラルタイプ存在せず, 英国でのモノラル・オリジナル, original for mono in UK.
トピックス:【初入荷の希少タイトル】---1960年頃マウツジンスキがポーランドに帰国した際のワルシャワでのモノラル/ステレオ録音と思われる, 録音技師:Janusz Urbański, プロデューサー:Janusz Urbański(兼任), 当時マウツジンスキは英COLUMBIAに籍があっためEMI=MUZA共同制作となったと思われる, 1961年Polskie Nagrania Muza によりコピーライト登録・同年MUZAからモノラル:XL 0124にて初リリース・1970年頃ステレオ:SX 0124(赤/銀レーベル・グルーヴガード厚)にて初リリース, 英国では1964年COLUMBIA:33CX 1871(当装丁)/SAX 2515(B/Sレーベル)にて初リリース, 当社初入荷の希少タイトル, ステレオ:SAX 2515は未入荷, W.マウツジンスキは1954年(pf)P.クレツキ指揮フィルハーモニアo.と初回モノラル録音あり(これは1949年録音説もあり), マウツジンスの2回目録音

商品詳細:W.マウツジンスキ(pf)は英国COLUMBIAに2回ラフマニノフ:Pf協奏曲3番を録音している。初回は1954年P.クレツキ指揮フィルハーモニアo.とのモノラル録音で1954年に33CX 1161/FCX 453でリリースされた。2回目が当盤でMUZA原盤のポーランド・ワルシャワ録音。MUZAでは1961年にMUZA:SX 0124でリリースされ、そのライセンス製造分として英国COLUMBIAでもモノラル/ステレオで1964年に発売された。ヴィトルト・マウツジンスキ( 1914-1977)はポーランド・ワルシャワ近郊コジチンの生まれ。ワルシャワ音楽院でフェルッチョ・ブゾーニ門下のユゼフ・トゥルチンスキに師事した。1936年には、元ポーランド共和国首相で19世紀ロマン派ピアニストの黄金時代を知るイグナツィ・パデレフスキの薫陶も受けた。1937年に開かれたショパン国際ピアノ・コンクールで第3位に入賞した後、パリ音楽院に留学してイシドール・フィリップやマルグリット・ロン等の教えも受けている。また、パリではフランスのピアニストであったコレット・ガヴォー(Colette Gaveau)と結婚している。フランスが降伏するとコレット夫人と共にポルトガルに逃れ、そこで思いがけずグジェゴシュ・フィテルベルクと出逢う。フィテルベルクから南米での演奏旅行を持ち掛けられて1940年10月にアルゼンチンに行き、1942年4月にはアメリカ合衆国に移った。戦後はスイスに移住してその地に暮らした。英国COLUMBIAに多くのショパン録音を残している。1960年には、ワルシャワで開かれたショパン生誕150年祭で18回のコンサートを行って大評判となり、ワルシャワ・ショパン協会の名誉会員に選ばれ、ショパン・コンクールの審査員も務めた。翌1961年には初の来日公演を行った。これはポーランドに帰国した時の1960年頃の凱旋録音と思われ、この録音時、マウツジンスキは英国COLUMBIAに籍が在り、恐らく英国COLUMBIA=MUZAの共同制作だったと思われる。そのためMUZA音源ながら英国発売が行われたものと思われる。故国での凱旋録音の為だろう、落ち着いた表現で定評あるマウツジンスキのピアノはここでも安定感があり、ラフマニノフの名作といわれる3番をリラックスした気分で弾いている。

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