商品コード:1228-054n[MELODIYA] I.ジューコフ(pf) G.ロジェストヴェンスキー指揮 M.ユロヴスキー指揮/ チャイコフスキー:Pf協奏曲3番Op.75 他, スクリャービン, リムスキー・コルサコフ
商品コード: 1228-054n
商品詳細:イーゴリ・ジューコフ(1936- 2018)は旧ソ連のニジニ・ノヴゴロドに生まれるが、翌年、家族に連れられモスクワに移る。1955年よりモスクワ音楽院に学ぶ。当初はエミール・ギレリスに、その後ゲンリフ・ネイガウスに師事した。在学中の1957年ロン・ティボー・コンクール2位入賞。1960年にモスクワ音楽院を卒業する。西側にも出ているがロシアン・スクール出身。1936年生まれ。ネイガウス門下生の1人。かなり個性的で、バリバリと情感を出して弾きまくる、驚異的エネルギーの持ち主。チャイコフスキーの協奏曲をきっちり3曲入れている数少ないピアニスト。中でもあまり録音されない2/3番が凄い。技量・感性、共に第一級。しかし日本での人気が今ひとつなのが不思議。録音技術そのものにも情熱を持って関心を寄せており、「私は録音技師の中で最高のピアニストなのであり、ピアニストの中で最高の録音技師なのだ」と発言したことがある。ピアニストとしての活動以外では、モスクワ室内管弦楽団を率いて、1994年に引退するまで指揮者として活動した。また室内楽奏者としては、ヴァイオリニストのグリゴリー・フェイギンやチェリストのヴァレンティン・フェイギンと共に、1963年にジューコフ・ピアノ三重奏団を結成し、1980年まで古今の幅広いレパートリーによって演奏・録音に取り組んだ。録音は多いが中でもチャイコフスキーの協奏曲に1~3番の全曲録音で知られる。3番の録音はMELODIYAでは1980年以前にはジューコフしかいなかった。曲自体マイナーでチャイコフスキー最後の協奏曲であり未完。当初、『人生』と銘打った交響曲を構想していたが、それを破棄してピアノ協奏曲に変更した。「悲愴」交響曲以降に構想しただけあって内容は悪くないが、チャイコフスキーは死去した為、結局のところ作曲者が完成させることができたのは第1楽章「アレグロ・ブリランテ」のみであり、それが死後に遺作として作品75という番号付きで出版された。チャイコフスキーの死後、その弟子のセルゲイ・タネーエフがこの曲の緩徐楽章と終楽章のスケッチを補筆・編集し、『アンダンテとフィナーレ』とした(出版にあたって「作品79」とされた)。なお、後にこの曲やタネーエフ編の『アンダンテとフィナーレ』などを基にして、チャイコフスキーが当初考えていた『人生』交響曲の再構成の試みが行われている。その一つが、1950年代にロシアの作曲家セミヨン・ボガティレフが4楽章の交響曲に編集し直した『交響曲第7番変ホ長調』である。さらに、2005年にロシアの作曲家ピョートル・クリモフが3楽章の交響曲として編集し直している。日本ではこのクリモフ版を「未完成交響曲『ジーズニ』(ロシア語: Жизнь)」と呼び、日本初演、及び録音が行われている。ジューコフは勿論残された第1楽章「アレグロ・ブリランテ」のみ録音し、A面の8割を使用。タネーエフ編の『アンダンテとフィナーレ』はこのLPには収録していない代わりに1964年の秀作「ピアノと弦楽の為のアレグロ・ハ短調」が収録。3分程度の短い曲でこの2曲をA面に収めた。B面はスクリャービン(ジンガーによる協奏曲編):幻想曲とリムスキー・コルサコフのPf協奏曲を収録。
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