商品コード:1250-009[Les Discophiles Français] K.リステンパルト指揮ザール室内o. F.ノイマイヤー R.ヴェイロン・ラクロワ(cemb) / バッハ:Cemb協奏曲3, 4, 5, 7番, 2Cemb協奏曲B.1060, 1061
商品コード: 1250-009
商品詳細:カール・リステンパルト(1900-1967)はドイツの港町キール生まれの指揮者。ベルリン・オラトリオ合唱団の指揮者として活動を開始する。1932年、15名ほどの弦楽奏者を中心にリステンパルト室内管弦楽団を創設し、定期コンサートを開催する。戦後の46年にベルリンRIAS室内管弦楽団と合唱団を組織した。コンマスのヴァイオリン奏者ウルリヒ・グレーリングはこの時、RIAS室内管弦楽団に居たソリストだったと思われる。グレーリングはその後1942-1947年までの間ベルリンpo.のコンサートマスターを務めることになる。リステンパルトは1953年からザールブリュッケンのザールラント室内管弦楽団の指揮者に就任する。DFに録音を開始したのはここからである。リステンパルトは1953年10月1日-ドイツ、ザールブリュッケンに18人のメンバーでザール室内管弦楽団を創設する。そのメンバー中10人はベルリンから付いてきた音楽家である。ウルリヒ・グレーリングとフリッツ ・ノイマイヤー(1900-1983)もそこに含まれると思われる。ノイマイヤーはザールブリュッケンの生まれでベルリンで活動していた。同じくベルリンに居たリステンパルトとは早い時期に知り合い、共演もしたと思われる。1967年リステンパルトが亡くなるまでその活動は続き、レーベルもDFからLe Club Français Du Disqueに代わる。1960年代に入りメンバーにG.F.ヘンデルなどの新しいメンバーも参加し、Le Club Français Du DisqueではDFで録音した多くの曲の2回目録音を行ったがこの曲は再録音していない。当時チェンバロ協奏曲の録音はバッハの柱として重要な仕事であった。リステンパルトがザールに移ったことでDFと契約することになる。かくしてフランス人たちはリステンパルトの思想による真のバッハ演奏を聴けるようになった。これが逆にドイツでは発売されず、フランスでバッハの神髄が発売されたことは興味深いと言わざるを得ない。ノイマイヤーはドイツでは最も早い時期からチェンバロ演奏の権威として1946年から1969年までベルリン音楽院の教授であった。DF以外にもARCHIVの初期~中期にも録音が多い。リステンパルトは1950年代中期にバッハのチェンバロ協奏曲全曲(14曲)~8曲をノイマイヤーらを中心としたソリストたちと録音。ここでは3台、4台用は録音せず、1台用6曲を2台用2曲に絞った録音が行われた。1950年代中期としては最大規模と見てよいだろう。1/2番がDF 78で他6曲がDF 197-8で発売された。当時としては最高レベルの時代考証で、ソロとオケのバランスも素晴らしく、何よりリステンパルトのオケに見られる、バッハらしさには感動を覚える。ソリストはフリッツ・ノイマイヤーとロベール・ヴェイロン・ラクロワの二人に絞った点も成功の要因と思われる。
リステンパルトの在庫一覧へ