商品コード:1250-006[Les Discophiles Français] F.ノイマイヤー(cemb) K.リステンパルト指揮ザール室内o. / バッハ:Cemb協奏曲1番B.1052, 2番B.1053

[ 1250-006 ] Bach, Fritz Neumeyer, Orchestre De Chambre De La Sarre, Karl Ristenpart


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商品コード: 1250-006

作品名:バッハ:Cemb協奏曲1番B.1052 | Cemb協奏曲2番B.1053
演奏者:F.ノイマイヤー(cemb)K.リステンパルト指揮ザール室内o.
プレス国:フランス, France
レーベル:Les Discophiles Français
レコード番号:DF 78
M/S:モノラル, monaural
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:7
評価/ジャケット:A : 経度の色落ちあり
キズ情報:
レーベルタイプ:【フランスでのオリジナル・タイプ】---赤輪青地図太中溝, フラット重量, Rights Society:記載なし, (P)なし, スタンパー/マトリクス:DF 78 1C1/DF 78 2C2(ストレート小文字スタンパー・Pathéタイプ), Les Discophiles Français録音・製造を示すDF***で始まりレコード番号を含む専用マトリクス使用, 補助マトリクス:ストレートMスタンパー・M6 164107/M6 104106, 再補助マトリクス:ストレート・パテキュラー(Patéculaire)・XPartX 25801/XPartX 25800, 3種併存のPathéプレス, 全てストレート初期タイプ, 1950年代のスタンパーによる1954年頃の製造分, 旧番号存在せず, これより古いレーベル存在せず, 異なる溝タイプ存在するがどちらが先かは不明(工場違いまたは使用機械の違いと思われるが内溝フラット盤が最初期であることは疑いない), 最古レーベル・最厚プレスの一つである, 更に古いマトリクス存在せず, ステレオ存在せず, RIAAカーヴではない, Les Discophiles Français音源のLes Discophiles Français制作Pathéプレス, レーベルの青輪の色が更に濃い色存在する(プレス機違いと思われる), オリジナル, 番号はDF付きで数字だけのタイプは存在しないと思われるが規則性は確認できず, 工場: Pathé Marconi EMI, Chatou., オリジナル・タイプ, original type
ジャケット:【フランスでのオリジナル】---見開両面青系クロス紙(金色文字・サークルあり), 背文字:あり(金色型押・青系クロス紙背景), (P)(C)なし, ジャケット裏年号:なし, 当社入荷履歴上で最古の年号/存在が確認された年号:不明(年号記載ないが当ジャケットである), 製作:Les Discophiles Français, 印刷:記載なし・フランス製, シングルタイプ存在せず, 別色のクロス紙ジャケットは存在する可能性あり(灰色の入荷なし), 青系疑似皮張タイプは存在せず, 数字だけのタイプは存在せず(規則性あり), オリジナル, original
トピックス:1953年頃パリでのモノラル録音, 録音詳細不明, 1954年頃Les Discophiles Françaisによりコピーライト登録・同年DF 78(当装丁・又は内溝レーベル)にて初リリース, これはオリジナルタイプ, 状態の良い盤は多くない, 1960年代初期10"EX 25027で1番だけが再版された, DF5桁の入荷はない, チェンバロのフリッツ・ノイマイヤー(1900-1983)は古いドイツのチェンバロ奏者, 1950年代のDFにリステンパルトのバッハのピアノ録音はない, オーセンティックにチェンバロ協奏曲の主要作品をチェンロで録音している・他にはDF 197-8(6曲入り)の計2点3枚に8曲を録音している, 盤質7はなかなかない, 盤質は演奏:★★★★★, 音質:★★★★+

商品詳細:カール・リステンパルト(1900-1967)はドイツの港町キール生まれの指揮者。ベルリン・オラトリオ合唱団の指揮者として活動を開始する。1932年、15名ほどの弦楽奏者を中心にリステンパルト室内管弦楽団を創設し、定期コンサートを開催する。戦後の'46年にベルリンRIAS室内管弦楽団と合唱団を組織した。コンマスのヴァイオリン奏者ウルリヒ・グレーリングはこの時、RIAS室内管弦楽団に居たソリストだったと思われる。グレーリングはその後1942-1947年までの間ベルリンpo.のコンサートマスターを務めることになる。リステンパルトは1953年からザールブリュッケンのザールラント室内管弦楽団の指揮者に就任する。DFに録音を開始したのはここからである。リステンパルトは1953年10月1日-ドイツ、ザールブリュッケンに18人のメンバーでザール室内管弦楽団を創設する。そのメンバー中10人はベルリンから付いてきた音楽家である。ウルリヒ・グレーリングとフリッツ ・ノイマイヤー(1900-1983)もそこに含まれると思われる。ノイマイヤーはザールブリュッケンの生まれでベルリンで活動していた。同じくベルリンに居たリステンパルトとは早い時期に知り合い、共演もしたと思われる。1967年リステンパルトが亡くなるまでその活動は続き、レーベルもDFからLe Club Français Du Disqueに代わる。1960年代に入りメンバーにG.F.ヘンデルなどの新しいメンバーも参加し、Le Club Français Du DisqueではDFで録音した多くの曲の2回目録音を行ったがこの曲は再録音していない。当時チェンバロ協奏曲の録音はバッハの柱として重要な仕事であった。リステンパルトがザールに移ったことでDFと契約することになる。かくしてフランス人たちはリステンパルトの思想による真のバッハ演奏を聴けるようになった。これが逆にドイツでは発売されず、フランスでバッハの神髄が発売されたことは興味深いと言わざるを得ない。ノイマイヤーはドイツでは最も早い時期からチェンバロ演奏の権威として1946年から1969年までベルリン音楽院の教授であった。DF以外にもARCHIVの初期~中期にも録音が多い。リステンパルトは1950年代中期にバッハのチェンバロ協奏曲全曲(14曲)~8曲をノイマイヤーらを中心としたソリストたちと録音。ここでは3台、4台用は録音せず、1台用6曲と2台用2曲に絞った録音が行われた。1950年代中期としては最大規模と見てよいだろう。1/2番がDF 78で他6曲がDF 197-8で発売された。当時としては最高レベルの時代考証で、ソロとオケのバランスも素晴らしく、何よりリステンパルトのオケに見られる、バッハらしさには感動を覚える。ソリストはフリッツ・ノイマイヤーとロベール・ヴェイロン・ラクロワの二人に絞った点も成功の要因と思われる。

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