商品コード:1251-042tb[ETERNA] ベルリンQt. (W.D.バッツドルフ, K.ペータース(vn) K.H.ドムス(va) M.プフェンダー(vc)) / ハイドン:弦楽四重奏曲Op.64-1, 2
商品コード: 1251-042tb
商品詳細:1962年コンヴィチュニーの推薦によりベルリン・シュターツカペレのコンサートマスターに就任したカール・ズスケはライプツィヒを離れベルリンに転居する。ベルリン・シュターツカペレのメンバーを集めて1965年ベルリンで発足したズスケQt.は、ベルリン国立歌劇場の正式派生弦楽四重奏団としてモルビッツァーQt.からその座をバトンタッチされ、ベルリンで活動を始める。しかしズスケは1977年に何を思ったのかゲヴァントハウスo.の新しいコンサートマスターに就任。ゲルハルト・ボッセの後任である。同年ゲヴァントハウスQt.のリーダーの座をやはりゲルハルト・ボッセから任された。その為ズスケはズスケQt.を解消。単身ライプツィヒに戻ることになる。その際ズスケQt.のリーダーの座をヴェルフ=デッィター・バッツドルフに譲り、事実上終了する。そこからズスケQt.の後継団体としてベルリン弦楽四重奏団に名称変更。残り3人はそのままベルリンQt.に残留した。但しベートーヴェンの弦楽四重奏曲の残りス全てを録音するため、レコード上で少なくとも1980年までズスケQt.は存在した。日本ではズスケQt.をベルリンQt.と称していたが、それは時の文化省から海外公演などで対外的に使用を許可された名称でETERNAではズスケQt.をベルリンQt.としたことはない。但しOp.59「ラズモフスキー3曲・2枚組」のみ輸出仕様が製作され、そこにはベルリンQt.と表記されていた。徳間音工が日本盤でベルリンQt.としていたのは対外的名称を使用していた為である。ETERNAでもヴェルフ=デッィター・バッツドルフにリーダーが移ってからはジャケットにベルリンQt.と表記している。1977年ベルリンQt.がベルリン国立歌劇場の正式派生弦楽四重奏団になり、現在まで続いている。但し現在はリーダーのバッツドルフ以外は全員交代し、ズスケQt.の名残はなくなった。ベルリンQt.はベルリンで活動を続け、来日も多い。これがベルリンQt.になっての最初の録音である。ズスケQt.と比べ極端に録音は少なくなった。ハイドンのOp.64が3枚で6曲と、1977年に分かれたゲヴァントハウスQt.(ズスケがリーダー)と1985年にデジタルでメンデルスゾーン:弦楽八重奏曲を共演している。それ以外でETERNAに録音はないようで、仏ACCORDに「シューベルト:1824年の作品集」で1曲参加している。ズスケ以外3人は同じメンバーだが録音に関して当局の対応には大きな違いがみられる。3人がズスケQt.のメンバーだけに完全な別団体とは言い切れない。尚この3人は1980年までズスケQt.としてベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集完成に向けて録音していた。いわば3年間は二足の草鞋を履いていたことになる。ベートーヴェンの録音では完全なズスケQtの音を出している。ハイドンだけ全く違うことなどあり得ない。曲が違うので比較は困難だが、1981年という時代を鑑みると最高レベルの演奏に間違いはない。しかしズスケQtの音が100%感じられないのは筆者だけではあるまい。元リーダーがあまりに偉大だと、元リーダーが去った後の落胆が実際以上に大きく感じられてしまうのは致し方ないことなのだろう。
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