[MELODIYA] V.フェルツマン(pf) D.キタエンコ指揮モスクワpo. / ショパン:Pf協奏曲2番Op.21, アンダンテ・スピアナートOp.22

[ 1256-050n ] Chopin Concerto For Piano No.2 V.Feltsman D.Kitaenko Moscow Po.

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商品コード: 1256-050n

作品名:ショパン:Pf協奏曲2番Op.21, アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズ Op.22
演奏者:V.フェルツマン(pf)D.キタエンコ指揮モスクワpo.
プレス国:旧ソ連, Soviet Union
レーベル:MELODIYA
レコード番号:C10 06433
M/S:ステレオ, stereo
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:8/7
評価/ジャケット:A : 左上に小さなスタンプあり
キズ情報:
レーベルタイプ:【旧ソ連でのオリジナル世代】---青/銀SL(シングルレター), 外周2㎝の盛上り, Made in USSR, CTEPEO ○○33, グルーヴガード厚, ГОСТ 5289-なし, TУ-43.10.1.74, Repertoire group:Вторая гp., Price Code:なし, Год выпуска(発行年):なし, スタンパー/マトリクス:C10-06433 3-1/C10-06434 3-1(ラウンド小文字マトリクス・MELODIYA通常タイプ), 露/英語表記・国内/輸出共用仕様, プレ・メロディア/DL(ダブルレター)レーベル存在せず, 1970年代スタンパーによる1975年頃製造分, SLレーベルの最初期分, 最古レーベル・最厚プレスである, モノラル存在せず, RIAAカーヴである, MELODIYA音源のMELODIYA製作プレス, モスクワ・アプレレフカ「Aprelevsky」アプリラフスキー試験工場, オリジナル世代, original generation
ジャケット:【旧ソ連でのオリジナル世代】---両面紙ペラ(モスクワ・アプレレフカ), Made in USSR, 表記されたジャケット番号:33 C 10-06433-34(a), Price Code:なし, 背文字:なし, 英語表記・輸出仕様, ジャケット裏年号:Apt. なし Зак.549-1000-A, (C)なし, 製作/印刷:Апрелевский Завод Грампластинок, オリジナル世代, original generation
トピックス:【旧ソ連でのオリジナル世代】---1975年頃モスクワでのステレオ録音, 録音技師:V.Skoblo, プロデューサー:I.Chumakova, 1975年MELODIYA:C10 06433(当・SLレーベル)にて初リリース, W.フェルツマン(pf)の米国での1990年代以降の録音はCDなどで入手が容易だがMELODIYA録音はその全容すらわかっていない, 極めて貴重な録音, 希少盤! 当社入荷2度目の希少タイトル, 演奏:★★★★★, 音質:★★★★+

商品詳細:ウラディミール・フェルツマン。1952年モスクワ生まれ。父である作曲家 オスカー・フェルツマンは、ソビエト連邦でポピュラーな歌とミュージカルコメディで知られた有名人。フェルツマンは11歳でモスクワフィルハーモニー管弦楽団でデビュー。モスクワ、レニングラード両音楽院で学び1971年パリで開催された、ロン・ティボー国際コンクールで同位グランプリ(優勝)を獲得した。もう一人の1位はフランスのパスカル・ロジェ。系譜はモスクワ音楽院でフリエールに師事したイグムノフ一派である。その後旧ソ連、ヨーロッパ、日本でのツアーを経てキャリアをスタート。1977年来日もある。しかし翌年当局に捕まり数年間幽閉状態が続いたという。この間に自主録音したショパンの演奏が裏ルートを通じて米国CBSに渡り知られることとなる。その反響の大きさから1987年米国への政治亡命に成功し、ロナルドレーガン大統領の為にホワイトハウスで初めてのコンサートを行った。米国での最初の演奏会であった。その後は米国で熱狂的に迎えられ「8年間牢獄で耐え続けたピアニスト」として一大フィーバーを起こした。初年だけで70回以上のコンサートを行ったらしい。日本にはこのニュースは知られておらず未だ無名のピアニスト状態である。米国ではかのリヒテル、アシュケナージと並ぶ大物クラスとして知られるロシア人ピアニスト。フェルツマンは、マンズ大学ニューミュージック・フォースクールとニューヨーク州立大学ニューパルツ校で教鞭を執っている。また国際フェスティバルインスティテュートピアノサマーの創設者兼芸術監督でもある。1995年米国の市民権を得ている。バッハを得意とし演奏法の研究に生涯を捧げている。バッハは残念ながらCDでしか入手出来ない。バッハ弾きとしての評価が高まったらしい。グールド以来の現象らしい。これは幽閉以前の1975年頃の録音で確かにカミショフにも似た独自の現代的な感性が散りばめられている。米国で大騒ぎとなるのも理解できる独自スタイルがある。ショパンのPf協奏曲を2曲録音していた

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