[COLUMBIA] G.シャーンドル(pf) / バッハ:Pf編曲集

[ 1259-018p ] Bach, Gyorgy Sandor – Piano

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商品コード: 1259-018p

作品名:バッハ:Pf編曲集/リスト編:前奏曲とフーガ ト短調(大フーガ)B.542/S.463, ブゾーニ編:トッカータ、アダージョとフーガ ハ長調 B.564 | ブゾーニ編:前奏曲とフーガ ニ長調B.532, シャーンドル編:トッカータとフーガ ニ短調B.565, リスト編:前奏曲とフーガ イ短調B.543
演奏者:G.シャーンドル(pf)
プレス国:米国, U.S.A.
レーベル:COLUMBIA
レコード番号:ML 4684
M/S:モノラル, monaural
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:7
評価/ジャケット:A
キズ情報:
レーベルタイプ:【米国での第2版】----灰6eyes中溝, 5時方向にMade in U.S.A., グルーヴガード厚手, Rights Society:記載なし, (P)なし, Tax Code:なし, スタンパー/マトリクス:XLP 13604-2F/XLP 13604-2C (ストレート中文字スタンパー・米COLUMBIAタイプ), 米COLUMBIA規格のモノラル製造を示すXLP***で始まりレコード番号を含まない専用マトリクス使用, 補助マトリクス:なし, 再補助マトリクス:なし, 1950年製造のスタンパーを使った1957年頃製造分, 紺/銀中溝レーベル・フラット盤が存在する(1953年分), これより古いレーベル存在する, 最古レーベル・最厚プレスではない, 更に古いマトリクス存在するか不明, ステレオ存在せず, RIAAカーヴである(紺/銀中溝レーベル・フラット盤はそうではない), 工場:Columbia Records Pressing Plant, Pitman, 米COLUMBIA音源の米COLUMBIA製作プレス, 欧州盤存在せず, 米国での第2版, 2nd issue in USA
ジャケット:【米国でのオリジナル・タイプ】----厚紙, Columbia LP Masterworks, 表記されたジャケット番号:ML 4684, Price Code:なし, 背文字:なし(初期の証拠), (P)(C)なし, ジャケ裏年号:なし, 当社入荷履歴上で最古の年号/存在が確認された年号:不明(年号記載ないが当ジャケットか又は近いものである), 製作:Columbia Records, Inc, .印刷:記載なし・米国製, これより古いタイプ存在しないと思われるが年代の古いものがある可能性あり , オリジナル・タイプ, original type
トピックス:B.542/B.564:1953年5月8-9日・他3曲:1952年6月11/16日ニューヨーク・コロンビア30番街スタジオでのモノラル録音, 録音詳細不明, 1953年Columbia Records, Inc(Columbia Masterworks)によりコピーライト登録・同年米COLUMBIA:ML 4684(紺/銀中溝レーベル・フラット盤・当デザインジャケット入り)にて初リリース, これは1957年頃製造の灰6eyes中溝レーベル・グルーヴガード厚手盤である第2版盤がオリジナルタイプのジャケットに入るケースで第2版となる, 当社ではこれが初入荷の希少タイトル, 第2版だが米COLUMBIA盤は灰6eyes中溝レーベルのほうが聴きやすい・ここからRIAAカーヴになると思われる, もう1枚のバッハはML 4304, 演奏:★★★★★, 音質:★★★★+

商品詳細:ジョルジ・シャーンドル(1912-2005)はブダペスト生まれのピアニスト。リスト音楽院にてバルトークに4年間ピアノを、そしてコダーイに作曲を師事し、1930年にコンサート・ピアニストとしてデビュー。ヨーロッパ各国で広く演奏した後、1939年にカーネギー・ホールへのデビューを果たした。翌年、彼はアメリカに定住し市民権を取得。1945年頃米国COLUMBIAと契約し、1946年にはバルトークの遺されたピアノ協奏曲第3番と「ミクロコスモス」の世界初演をユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団と行い、その直後に米コロンビアに同曲の初録音を行った。バルトークのピアノ独奏曲と協奏曲1/2番の初録音もVOXに行っている。1945年からSP録音があり1955年まで米コロンビアにLPモノラル録音がある。シャーンドルは、ピアノの師であったバルトークの生涯の友人でもあり、バルトークのピアノ曲の演奏および解釈の第一人者、そして1945年の葬儀に出席した10人のうちの1人であった。早い時期から録音を行ったピアニストだったが、モノラル期が終わる頃から教師としての活動に重点を置き、南メソジスト大学、ミシガン大学、1980年代にジュリアード音楽院で教鞭を執った。80歳を超えてもピアニストとしての活動を続けるなど、2005年に亡くなる年までコンサートを行なった。欧州レーベルに録音はないので米国でしか知られていない。ハンガリー作品を中心としたシャーンドルだが2枚のバッハ・リサイタルを残す。これは最初の1枚で米国のみの発売。1952-3年録音のもう1枚のバッハ・リサイタルが存在する。これは編曲集で希少。欧州プレスは存在しない。ニューヨークにおいて心不全により亡くなった時は93歳と言う長命であった。地味だが味わい深い演奏と言える。

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