商品コード:1277-049[La Voix De Son Maître] G.スゼー(br) D.ボールドウィン(pf) / ドビュッシー:歌曲集 全18曲
商品コード: 1277-049
商品詳細:G.スゼー(br)D.ボールドウィン(pf)のドビュッシー:歌曲集といえば1961年DGGに録音したLPが有名。これは1971年のEMIヘの別録音である。重複する曲もあるが全て同じではなく、当LPで初録音となる曲も多い。この後E.アーメリング、M.コマンド、M.メスプレの3人が別のドビュッシー:歌曲を1977年/1978年/1979年に録音し、1980年に2C 165-16371-4(赤EMIニッパー・4枚組箱入り)にてリリース、ドビュッシー:歌曲全集としてLa Voix De Son Maîtreが完成させた。録音年代には開きがあり、スゼーだけ1971年という早い録音で当初歌曲全集の予定はなかったのではないかと思われる。その後の3枚には単売はないのではないかと思われる。ジェラール・スゼー( 1918– 2004)はフランス・アンジェの生まれ。カミーユ・モラーヌ( 1911 - 2010)と7歳違いだが、モノラル期で引退したモラーヌと異なり、スゼーは長い録音歴を持つ。重鎮ピエール・ベルナック(1899 - 1979)より一世代後のバリトン歌手である。フランス語での、より正確な読み方はジェラール・スゼだが、これまでの慣習に従ってスゼーで統一する。パリ音楽院でクレール・クロワザとジャン=エミール・ヴァンニ=マルクーに師事する。テノールとして歌手活動を始めるが、1943年に著名なオペラ歌手アンリ・エシュヴェリーの助言を容れて、バリトンに転向した。1945年より公的な演奏会に出演を始める。1954年以降は新たにアメリカ人ピアニストのダルトン・ボールドウィンを迎え、生涯にわたる協力関係を築いた。1960年以降はほとんどオペラに出演せず、代わりにリサイタルで活動を続け、1980年代後半に引退した。1944年のSP録音に始まり、1950年代初めにDECCAと契約を結ぶ。その後はPHILIPSやEMIとも契約している。スゼーの録音のディスコグラフィは約750点にものぼる。フォーレやプーランクの歌曲全集の録音にも参加した。栄えあるディスク・グランプリ(Grand Prix du Disque)には3度選ばれており、そのうちの1つがラヴェル歌曲集であった。スゼーはドイツ・リートも歌うが、やはりフランス歌曲が白眉といえる。ドイツ最大のバリトンであるディートリヒ・フィッシャー=ディースカウとは声質、レパートリーなどがまるで異なる。スゼーが亡くなった時、英国紙「デイリー・テレグラフ」は、最も偉大なリリック・バリトンという称号をディートリヒ・フィッシャー=ディースカウと争えるのは、同世代ではスゼーだと述べている。リリックバリトンは、バリトンの中では最も軽めの性質を持ったバリトン。ディースカウはリリック・バリトンとされるが違和感を持つ方は多いだろう。不思議なことにフランス人バリトンはみな甘い声質である。ドイツでは甘い声質のバリトンはヘルマン・プライくらいだろう。それでもスゼーとは比較出来ないほど違いがある。スゼーはこの美声を1970年頃まで保ち、多くの録音を残した。フランス歌曲でステレオ期に唯一聴ける男声歌手ではないだろうか。
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