商品コード:1282-058p[DGG] L.マゼール指揮ベルリン放送so. / ストラヴィンスキー:組曲「火の鳥」(1919年版), 交響詩「ナイチンゲールの歌」
商品コード: 1282-058p
商品詳細:マゼールはCOLOMBIA、DECCA等に録音したが、1965年からフリッチャイの後任としてこのベルリン放送so.(旧RIAS)を10年間率い、安定してDGGに録音を行う。これはベルリン放送so.に就任する以前のDGGへの初期録音。1972年にはセルの死にともない後任としてクリーブランドo.の音楽監督もこなすが、やはり安定期に入る前の方が、大半の音楽家は良い仕事をする。アメリカで修行したセンスで、ベルリン放送so.の可能性を引き出そうとする姿勢が窺える秀演。ロリン・マゼール(1930-2014)はまだ26歳だった1957年、ドイツ・グラモフォンでカラヤンより先にベルリン・フィルとのレコーディングを開始するという異例の扱いを受けた指揮者だった。1957年2月にベルリンで行われた3種の「ロメオとジュリエット」と題する管弦楽曲集がDGGへのデビュー録音となる。これはDGGへの第2弾となる1957年11月の録音で、なぜかこの録音はベルリンpo.ではなくベルリン放送so.(旧名RIAS so.)。初代首席指揮者フェレンツ・フリッチャイは1948年 - 1954年までで一度退任し、1959年に復帰、 1963年まで務めた。1954年10月、アメリカのヒューストン交響楽団の常任指揮者に就任したためだろう。また1956年にはバイエルン国立歌劇場の音楽監督に就任している。この1955-8年の間首席指揮者が不在の状態だったベルリン放送so.は、力を試したい指揮者にとってはまたとない機会であった。DGGにデビューして間もないマゼールが力を示し、このオケの後釜を狙っても不思議はない。この時の活躍が功を奏してか、1964年このオケのシェフに就任することになる。さて、ストラヴィンスキーを選んだ理由は不明だが、大陸的なフリッチャイに対し血気盛んな32歳の若いマゼールは御大フリッチャイにはできない荒業でアピールしたのではと推測できる。初めて振ったわりにオケをきっちり鳴らし激烈な演奏を成功させた。
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