[Le Club Français Du Disque] K.リステンパルト指揮ザール室内o. P.マカノヴィツキー, G.F.ヘンデル(vn) 他/ マンハイム学派の音楽/シュターミッツ, ヴァンハル, ヴィンター

[ 1289-061p ] Stamitz / J.B. Wanhal / P. Winter - Orchestre De Chambre De La Sarre Direction: Karl Ristenpart – L'école De Mannheim

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商品コード: 1289-061p

作品名:マンハイム学派の音楽/シュターミッツ:2Vnのための協奏交響曲, J.B.ヴァンハル:交響曲 イ短調--Allegro Moderato-- Andante Cantabile-- | --Allegro, P.ヴィンター:Cl・Vcのための協奏曲
演奏者:K.リステンパルト指揮ザール室内o.P.マカノヴィツキー, G.F.ヘンデル(vn)H.ヴィンシャマン(ob)/J.ミヒャエルス(cl)I.ギューデル(vc)
プレス国:フランス, France
レーベル:Le Club Français Du Disque
レコード番号:279
M/S:モノラル, monaural
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:7
評価/ジャケット:A : 上部に軽度の退色あり
キズ情報:
レーベルタイプ:【フランスでのオリジナル】---ピンク白/黒浅中溝, 5時にMade in France(縦表記), フラット重量, Rights Society:記載なし, (P)なし, スタンパー/マトリクス:N2 SA 558 /N2 SA 559 L (手書き文字スタンパー・Le Club Français Du Disque初期タイプ), Le Club Français Du Disqueモノラル製造を示すN2 SA***で始まりレコード番号を含まない専用マトリクス使用, 補助マトリクス:なし, 再補助マトリクス:なし, M6スタンパーはなくPathéプレスではない, 1960年代後期スタンパーを用いた1962年頃の製造分, これより古いレーベルは存在せず, 更に古いマトリクス存在せず, フランスにステレオ存在せず(米国にあり), RIAAカーヴである, Le Club Français Du Disque音源のLe Club Français Du Disque制作プレス, 工場:不明, オリジナル, original
ジャケット:【フランスでのオリジナル】---両面紙ペラ, リブレットのコピー付き, 背文字:なし(初期の証拠), ジャケ裏年号:なし, (P)(C)なし, 当社入荷記録で最古の裏年号/存在が確認された年号:不明(年号記載ないが当ジャケットである), 製作:Le Club Français Du Livre, 印刷:不明・フランス製, これより古いタイプ存在せず, オリジナル, original
トピックス:1962年又はそれ以前のドイツのザールブリュッケンの北西ザールイ(Saarlouis)の近くのフラウラウターン(Fraulautern)でのモノラル/ステレオ録音, 録音詳細不明, 1962年頃Le Club Français Du Livreによりコピーライト登録・同年モノラルのみLe Club Français Du Disque:279(当装丁)にて初リリース, フランスにステレオは存在しない, これが初年度リリース分オリジナル, 米nonesuch:H 1041/H 71041でモノラル/ステレオがリリースされた, 入荷の少ないリステンパルトのLe Club Français Du Disque録音でソリストとしてポール・マカノヴィツキーがクレジットされている, 演奏:★★★★★, 音質:★★★★★

商品詳細:メジャー、マイナーを問わず様々なレーベルから企画・発売される「マンハイム楽派」。それだけ欧州音楽史にとって需要な出来事であった。マンハイムは現ドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州・北端に属する郡独立市。かつてプファルツ選帝侯の宮廷所在地であったこの街は、現在ヨーロッパ有数の大都市圏であるライン=ネッカー広域連合の経済的・文化的中心都市となっている。ラインラント=プファルツ州に属する隣町のルートヴィヒスハーフェン・アム・ライン(人口約17万人)とはライン川を隔てて直接向かい合っている。1720年に選帝侯カール3世フィリップは宮廷をハイデルベルクからマンハイムに移し、マンハイム宮殿の造営が始まった。プファルツ選帝侯の宮廷では芸術と音楽、学問と商業が奨励された。ゲーテ、シラー、レッシング、更にはモーツァルトもこの地を訪れている。1750年頃にヨハン・シュターミッツによって創設されたマンハイム楽派は、初めはプファルツ選帝侯の宮廷音楽家によるサークルであった。それまでヨーロッパを席巻していた通奏低音主導のオーケストレーションや後期バロック音楽の持つパトスを、ハーモニーがメロディ・ラインを支えるという新しく上品な音楽へ拡大していった音楽集団であったと後に理解されるようになった。この楽派は、ウィーン古典楽派へ発展して行く根源的な先駆けとなったのである。シュターミッツは宮廷楽団の宮廷楽長でプファルツ選帝侯カール4世がパトロンとなり、宮廷楽団に私財を投じ、高水準の演奏家や作曲家を各地から招聘した。下記の「主なメンバー」の作曲家たちの他、フルート奏者ヨハン・バプティスト・ヴェンドリング、オーボエ奏者ヤコプ・アレクサンダー・ルブラン(ルートヴィヒ・アウグスト・ルブランの父)、チェロ奏者インノチェンツォ・ダンツィ(フランツ・ダンツィの父)など、ヨーロッパ最高水準の音楽家が集まった。特にヨハン・シュターミッツの息子カール・シュターミッツの時代になって最盛期を迎えた。モーツァルトは、1777年から1778年に就職活動のためマンハイムを訪問した。この楽派の影響を大きく受けた。交響曲第31番「パリ」は、マンハイムのオーケストラの管楽器の編成に影響を受けて作曲した交響曲である。このLPに登場するヨハン・バプティスト・ヴァンハル( 1739 - 1813)はボヘミア出身のチェコ人(チェコ名・ヴァニュハル)。ペーター・ヴィンター (1754-1825)はマンハイム生まれ。30作以上のオペラを作曲した。ヴァイオリンの名手としてミュンヘンの宮廷楽長を務めた。当LPの選曲は必ずしもマンハイム楽派の中心を紹介しているわけではないが、リステンパルトの眼鏡にかなった選曲だろう。上記の歴史を踏まえてリステンパルト劇場の客になって損はない。P.マカノヴィツキー、G.F.ヘンデル(vn)、H.ヴィンシャマン(ob)など奏者は超一流!

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