商品コード:1298-017[DECCA] J.クリップス指揮ロンドンso. / モーツァルト:交響曲39番K.543, 交響40番K.550
商品コード: 1298-017
商品詳細:39番:1951年12月,40番:1953年3月ロンドンでのモノラル録音と録音時期が離れた2曲が1957年になってカップリングされ発売された珍しい例になる。ヨーゼフ・クリップス(1902 - 1974)はウィーンの生まれの指揮者。弟のハインリヒ・クリップスも指揮者として知られる。1933年にウィーン国立歌劇場の常任指揮者に就任、また1935年にウィーン国立音楽大学の教授に就任した。1938年3月のオーストリア併合の後、オーストリアを去ることを強いられ、ベオグラードに移り、ユーゴスラビアが第二次世界大戦に一時期巻き込まれるまで、地元のオーケストラで働いた。大戦終期には食品工場で働いていたが、「こっそりオペラの稽古をつけたり、プロンプター席に入って指示を出していた」という伝説もある。父親はユダヤ人であるため、ナチスに協力しなかった為、早く楽団に復帰したがウィーン交響楽団首席指揮者に就いたのは晩年の1970-1973年である。角のとれた優美なクリップスとウィーン・フィル(国立歌劇場管弦楽団)の芸風は英国でも評価され、1948年~DECCAへ録音を開始した。1949年頃ウィーン宮廷合唱団、管弦楽団 と録音したモーツァルト:レクイエムは今もって名盤と名高い。また1950年のモーツァルト:オペラ『後宮からの誘拐』はLPにおける初の全曲録音であった。モーツァルトの交響曲は1949年頃の41番、1951年の31/39番、1953年の40番の4曲をロンドンso.と録音している。これはクリップスがロンドンso.の首席指揮者を務めた1950-1954年と一致していて、最初の黄金時代である。1946 年 11 月にデッカに入社したプロデューサー:ジョン・カルショウが力をつけてくると、クリップスを高く評価しなかったカルショウに冷遇されるようになり、1963年にサンフランシスコ交響楽団の音楽監督に就任して、DECCAとは疎遠になってしまう。1957年4月イスラエル・フィルハーモニーと録音した交響曲第35番「ハフナー」 第41番「ジュピター」がDECCAに入れたモーツァルトの交響曲の最後となった。1970年代に入るとPHILIPSに移籍し1972年から1973年までにアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮してモーツァルト交響曲集(第21-41番)を録音した。翌1974年ジュネーヴにて病没。1951年の39番はウィーン風味を濃厚に湛えた素晴らしい名演といえるが、1953年の40番はどうも熱量が弱い、音圧も39番より小さいが10"分を片面に入れたことが理由かもしれない。政治的理由から本懐を遂げることができなかった指揮者だが、ロンドンso.の首席指揮者時代のモーツァルトは是非とも聴いておきたい。尚39番はLXT 2689(31/39番)で1952年に初リリースされていた。40番はハイドンとのカップリンゲで1953年LXT 2819で発売。1954年にはLW 5287の10"で単独発売されている。このLXT 5356はモーツァルト同士の12"化のための1枚(1957年リリース)であったように思われる。
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