商品コード:1298-017[DECCA] J.クリップス指揮ロンドンso. / モーツァルト:交響曲39番K.543, 交響40番K.550

[ 1298-017 ] Mozart, The London Symphony Orchestra, Josef Krips – Symphony No. 39, Symphony No. 40


通常価格:¥ 6,600 税込

¥ 6,600 税込      

数量

商品コード: 1298-017

作品名:モーツァルト:交響曲39番K.543 | 交響40番K.550
演奏者:J.クリップス指揮ロンドンso.
プレス国:英国, United Kingdom
レーベル:DECCA
レコード番号:LXT 5356
M/S:モノラル, monaural
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:7 : A面6時に小紙シール貼りあり
評価/ジャケット:A
キズ情報:
レーベルタイプ:【英国でのカップリング替えのオリジナル】---銀外溝, 12時にMade in England, 2時にffrr, フラット重量, Rights Society:記載なし, (P)なし, Tax Code:R/T(1953年10月~1957年6月を示す), スタンパー/マトリクス:ARL-1109-1DR/ARL-1594-1B (ストレート/ラウンド小文字/中文字スタンパー・DECCAタイプ), DECCA規格モノラル製造を示すARL***で始まりレコード番号を含まない専用マトリクス使用, マトリクスのDは Jack Law(ジャック・ロウ)/BはRon Mason(ロン・メイソン)のカッティング担当を/RはRIAAカーヴに切り直したことを示す, 補助マトリクス(3時):M/CA, 再補助マトリクス(9時):1/1, 1950年代のスタンパーによる1957年頃の製造分, 夫々の曲に旧番号存在する(39番は別カップリングの12"/40番は1曲入り10"), 当番号に金内溝/金外溝レーベル存在せず, フラット盤の最初期分, 当番号にこれより古いレーベル存在せず, 当番号の最古レーベル・最厚プレスである, 更に古いマトリクス存在する, これより古い3時存在する, カッティング担当の前任者:両面ともRon Masonではないかと思われる, ステレオ存在する, RIAAカーヴである, 英DECCA音源の英DECCA制作プレス, 工場:Decca Record Co. Ltd., Pressing Plant, UK, 再版/当番号の初出, original for the number
ジャケット:【英国でのカップリング替えのオリジナル】---ラウンド折返両面コートペラ"aka scalloped" (ホタテ貝の意味), 2時に黒ベースffrrDECCAロゴ, 表記されたジャケット番号:LXT 5356, 背文字:なし(初期の証拠), (P)(C)なし, ジャケ裏年号:9-57-835, 当社入荷履歴上で最古の年号/存在が確認された年号:9-57-835(当ジャケットである), 製作:The Decca Record Company Limited. London, 印刷:RS---Robert Stace Ltd. London, 2曲とも別々の旧番号存在するが当番号でこれより古いタイプ存在せず, 当番号のオリジナル, original for the number
トピックス:39番:1951年12月, 40番:1953年3月12日ロンドンでのモノラル録音, 録音詳細不明, 39番は1952年The Decca Record Company Limited. Londonにてコピーライト登録・同年DECCA:LXT 2689(31/39番)のカップリングで初リリース, 40番は1953年LXT 2819(+ハイドン92番)で初リリース, 1954年頃DECCA:LW 5287(10"の1曲入り)でもリリースされた, 1957年にモーツァルト同士の40+39番のカップリングでLXT 5356(当装丁)にて再リリースされた・モーツァルト同士のカップリングの為, これは当番号の初年度リリース分のオリジナル, ロンドンso.とのモーツァルトはこの2曲の他に31番(1951年12月)と1949年頃41番の全4曲のみ, イスラエルpo.と35/41番がモノラル/ステレオである, 2曲とも初出番号ではないが39/41番のカップリング盤の初出になる

商品詳細:39番:1951年12月,40番:1953年3月ロンドンでのモノラル録音と録音時期が離れた2曲が1957年になってカップリングされ発売された珍しい例になる。ヨーゼフ・クリップス(1902 - 1974)はウィーンの生まれの指揮者。弟のハインリヒ・クリップスも指揮者として知られる。1933年にウィーン国立歌劇場の常任指揮者に就任、また1935年にウィーン国立音楽大学の教授に就任した。1938年3月のオーストリア併合の後、オーストリアを去ることを強いられ、ベオグラードに移り、ユーゴスラビアが第二次世界大戦に一時期巻き込まれるまで、地元のオーケストラで働いた。大戦終期には食品工場で働いていたが、「こっそりオペラの稽古をつけたり、プロンプター席に入って指示を出していた」という伝説もある。父親はユダヤ人であるため、ナチスに協力しなかった為、早く楽団に復帰したがウィーン交響楽団首席指揮者に就いたのは晩年の1970-1973年である。角のとれた優美なクリップスとウィーン・フィル(国立歌劇場管弦楽団)の芸風は英国でも評価され、1948年~DECCAへ録音を開始した。1949年頃ウィーン宮廷合唱団、管弦楽団 と録音したモーツァルト:レクイエムは今もって名盤と名高い。また1950年のモーツァルト:オペラ『後宮からの誘拐』はLPにおける初の全曲録音であった。モーツァルトの交響曲は1949年頃の41番、1951年の31/39番、1953年の40番の4曲をロンドンso.と録音している。これはクリップスがロンドンso.の首席指揮者を務めた1950-1954年と一致していて、最初の黄金時代である。1946 年 11 月にデッカに入社したプロデューサー:ジョン・カルショウが力をつけてくると、クリップスを高く評価しなかったカルショウに冷遇されるようになり、1963年にサンフランシスコ交響楽団の音楽監督に就任して、DECCAとは疎遠になってしまう。1957年4月イスラエル・フィルハーモニーと録音した交響曲第35番「ハフナー」 第41番「ジュピター」がDECCAに入れたモーツァルトの交響曲の最後となった。1970年代に入るとPHILIPSに移籍し1972年から1973年までにアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮してモーツァルト交響曲集(第21-41番)を録音した。翌1974年ジュネーヴにて病没。1951年の39番はウィーン風味を濃厚に湛えた素晴らしい名演といえるが、1953年の40番はどうも熱量が弱い、音圧も39番より小さいが10"分を片面に入れたことが理由かもしれない。政治的理由から本懐を遂げることができなかった指揮者だが、ロンドンso.の首席指揮者時代のモーツァルトは是非とも聴いておきたい。尚39番はLXT 2689(31/39番)で1952年に初リリースされていた。40番はハイドンとのカップリンゲで1953年LXT 2819で発売。1954年にはLW 5287の10"で単独発売されている。このLXT 5356はモーツァルト同士の12"化のための1枚(1957年リリース)であったように思われる。

クリップスの在庫一覧へ




【特設ページへ移動】







SACD特設ページ





・公式ブログ(下の画像をクリック!)


・公式Facebook(下の画像をクリック!)