商品コード:1302-062p[Pathé] V.アシュケナージ(pf) Z.グジュイニスキ指揮ワルシャワpo. / ショパン:Pf協奏曲2番Op.21, バラード2番Op.38, スケルツォ4番Op.54, 練習曲Op.10-1, Op.25-3, マズルカ(2曲)

[ 1302-062p ] Vladimir Aszkenazi, Frédéric Chopin – Ve Concours International Frédéric Chopin (Mars 1955)


通常価格:¥ 2,750 税込

¥ 2,750 税込      

商品コード: 1302-062p

作品名:1955年ショパン・コンクール記念録音(2位)/ショパン:Pf協奏曲2番Op.21 | バラード2番Op.38, 12の練習曲Op.10~1番ハ長調Op.10-1, 12の練習曲Op.25~3番ヘ長調Op..25-3, マズルカ第29番変イ長調Op.41-4, マズルカ第21番嬰ハ短調Op.30-4, スケルツォ第4番ホ長調Op.54
演奏者:V.アシュケナージ(pf)Z.グジュイニスキ指揮ワルシャワpo.
プレス国:フランス, France
レーベル:Pathé
レコード番号:DTX 200
M/S:モノラル, monaural
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:7/6
評価/ジャケット:A
キズ情報:B面3時に極小2+5+小8回出るシミあり
レーベルタイプ:【フランスでのオリジナル】---濃緑/銀内溝, センターホール上にLongue Durée □33 1/3 Microsillon, 3時に33 1/3 Tours minule, 6時にMade in France(ラウンド銀文字), フラット重量, Rights Society:DP, (P)なし, スタンパー/マトリクス:XPTX 299 21B/XPTX-300-21E (ストレート小文字スタンパー・Pathé旧タイプ), Pathéモノラル製造を示すXPTX**で始まりレコード番号を含まない専用マトリクス使用, 補助マトリクス:ストレートM6スタンパー・M6 167226/M6-181972, 再補助マトリクス:なし・パテキュラー(Patéculaire)はない, ストレートタイプ2種併存のPathéプレス, 1950年代のスタンパーによる1956年頃製造分, 内溝レーベル・フラット盤の最初期分, これより古いレーベル存在せず, 最古レーベル・最厚プレスである, 更に古いマトリクス存在するか不明(21/21があるか不明), ステレオ存在せず, RIAAカーヴではない, MUZA=Pathé共同制作音源のPathé製作Pathéプレス, 工場:Pathé Marconi EMI, Chatou., フランスでのオリジナル, original in Fr.
ジャケット:【フランスでのオリジナル】---折返両面コートペラ, 5時にPathé・マーク, リブレットは付かない, 表記されたジャケット番号:DTX 200, Price Code:Ⓐ, 背文字:あり(黒色・クリーム背景), ジャケ裏年号:なし, (P)(C)なし, 当社入荷履歴上で最古の年号/存在が確認された年号:不明(年号記載ないが当ジャケットである), 製作:Les Industries Musicales Et Electriques Pathé Marcon. Paris., 印刷:ARAC Imp. Paris., デザイン不明, コートペラの最初期分, 裏ラウンドタイプも存在するが順番は不明, フランスでのオリジナル, original in Fr.
トピックス:1955年ポーランド・ワルシャワでの第5回ショパン国際ピアノコンクール記念(2位)モノラル録音, 録音詳細不明, MUZA=Pathé共同制作録音と思われる, MUZA:L 0017/PATHE5枚組の箱にて初リリース, フランスでは1956年頃Pathé:DTX 200(当装丁)にて初リリース, これは初年度リリース分オリジナル, DTX 171-5で5枚組箱入りも存在する・これは単売分のオリジナル, 英国では1958年英COLUMBIA:33CX 1563にて初リリース, これがアシュケナージが第5回ショパン国際ピアノ・コンクールで2位入賞した記念録音で西側初LPとなる

商品詳細:1955年ショパン・コンクールで2位入賞、1位にならなかった事に腹を立てたミケランジェリは審査員を降板する騒動を起こした(優勝はハラシェヴィチ)。これは国立ワルシャワo.をバックにその時の凱旋録音。さすがコンクールだけあってオケがなかなか素晴らしいが、ソロはおよそDECCA時代と同一人物とは思えない、閃きに満ちた熱演だ。このレベルが保たれれば、その後の名声はより大きくなっただろう。B面の小品も素晴らしい。ウラディーミル・アシュケナージ(1937-)はソヴィエト連邦・ゴーリキー(現在のニジニ・ノヴゴロド)出身のピアニスト、指揮者。ヘブライ語の姓「アシュケナージ」が示す通り、父方はユダヤ系であるが、母は非ユダヤ系のロシア人である。妻の故国であるアイスランドの国籍を取得した。6歳でピアノを始め、2年後にはモスクワでデビュー演奏会を開いた。9歳の時にモスクワ音楽院附属中央音楽学校に入学し、アナイダ・スンバティアンに師事した。1955年にモスクワ音楽院に入学、レフ・オボーリンやボリス・ゼムリャンスキーに師事した。その1955年ワルシャワで開催されたショパン国際ピアノ・コンクールに出場し、2位に輝いた。優勝はアダム・ハラシェヴィチ。アシュケナージが優勝できなかったことに腹を立てた審査員のミケランジェリが退場したことは、1980年の第10回(ダン・タイ・ソンが1位)で審査員のアルゲリッチが、ポゴレリチが評価されないので退場してしまったこと同様に有名な話。日本からは田中希代子(1932-1996)が参加して第10位に入賞している。ミケランジェリが退場した話は実は田中希代子が伝えたとされる。尚第3位は中国のフー・ツォン(1934年生まれ)。ツォンはこのとき「マズルカ賞」も受賞している。日本人として初めてショパン・コンクールに出場したのは1937年の第3回における原智恵子(1914-2001)で、入賞こそしなかったものの、というか入賞しなかったことに聴衆が納得しなかったため「聴衆賞」を受賞した。このLPは西側における唯一のLPであった。それまで名前すら聴いた事がない若手ロシア人のウラディーミル・アシュケナージは、この時初めて西側にその名前を知られる事となる。翌1956年にはエリザベート王妃国際音楽コンクールに出場して優勝を果たし、これを機にヨーロッパ各国や北米を演奏旅行してセンセーショナルな成功を収めた。音楽院在学中から国際的な名声を確立した。以降はDECCAと契約してからはご存じの通りである。是非ミケランジェリが退場した心情をこのLPから汲み取っていただきたい。なおアシュケナージはMELODIYAにショパン:24の練習曲Op.10/25をД 6035-8で出しているが1959年-60年録音でコンクールの後である。

アシュケナージの在庫一覧へ




【特設ページへ移動】







SACD特設ページ





・公式ブログ(下の画像をクリック!)


・公式Facebook(下の画像をクリック!)