[COLUMBIA] D.オイストラフ(vn) J.マルティノン指揮フィルハーモニアo. / ラロ:スペイン交響曲Op.21

[ 1302-039b ] Lalo, David Oistrakh, Jean Martinon ‎– Symphonie Espagnole Op 21

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商品コード: 1302-039b

作品名:ラロ:スペイン交響曲Op.21/第1楽章 Allegro Non Troppo--第2楽章 Scherzando (Allegro Molto)--第3楽章 Intermezzo (Allegretto Non Troppo)-- | --第4楽章 Andante--第5楽章 Rondo (Allegro)
演奏者:D.オイストラフ(vn)J.マルティノン指揮フィルハーモニアo.
プレス国:フランス, France
レーベル:COLUMBIA
レコード番号:FCX 427
M/S:モノラル, monaural
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:7
評価/ジャケット:A
キズ情報:
レーベルタイプ:【フランスでのオリジナル】---紺/銀音符内溝, 6時にMade in France, フラット重量, 表記されたレコード番号:33 FCX 427, Rights Society:BIEM, (P)なし, Price Code:Ⓐ, スタンパー/マトリクス:XAX 651-1N/XAX 652-2N (ラウンド小文字スタンパー・EMI/Pathéタイプ), EMIグループCOLUMBIA系・英国録音モノラル製造を示すXAX***で始まりレコード番号を含まない英国型フランス専用マトリクス使用, 補助マトリクス:ストレートMスタンパー・M6-168537/M6-168538 (最古と思われる), 再補助マトリクス:なし・パテキュラー(Patéculaire)はない, ラウンド本体とストレートMスタンパーの2種併存Pathéプレス, 1950年代のスタンパーによる1956年頃の製造分, Disque incassableロゴ付レーベル存在せず, 内溝レーベル・フラット盤の最初期分, フランスでこれより古いレーベル存在せず, フランスでの最古レーベル・最厚プレスである, 更に古いマトリクス存在するか不明, ステレオ存在せず, RIAAカーヴではない, EMIグループCOLUMBIA系・英国音源の仏COLUMBIA制作Pathéプレス, 工場:Pathé Marconi, Chatou , フランスでのオリジナル, original in Fr.
ジャケット:【フランスでの第3版】---棒付厚手ボード(粗目紙厚手), 内ジャケ窓付き(初期タイプ), 表記されたジャケット番号:FCX 427, Price Code:Série de Luxe, 背文字:あり(棒上に金色押型・黒クロス紙背景), (P)(C)なし, ジャケット裏年号:なし, 当社入荷履歴上で最古の年号/存在が確認された年号:不明(年号記載ないが当ジャケットではない・ペラタイプ存在する), 製作:Les Industries Musicales Et Electriques Pathé Marcon. Paris, 印刷:Mercure Editeur. Paris, カッサンドル工房デザイン, これ以前の折返半ツヤペラジャケ存在する, 棒付きジャケットは文字デザイン→写真デザインの順で2種存在する(1年以上の違いはないと思われる), 3rd issue in Fr.
トピックス:1954年11月13-14日ロンドン・アビーロード第一スタジオでのモノラル録音, 録音技師:Harold Davidson, プロデューサー:Walter Legge, 英国では1955年Columbia Graphophone Company Ltd. Hayes・Middlesex・Englandによりコピーライト登録・同年英COLUMBIA:33CX 1246(紺/金ツヤ音符レーベル・グルーヴガード厚手盤)にて初リリース, 仏では1956年頃仏COLUMBIA:FCX 427(当盤・折返半ツヤペラジャケット入り)にて初リリース→1956年後期または1957年頃同一番号・同一レーベル・文字デザイン・棒付厚手ボードジャケット入り→同年後半頃同一番号・同一レーベル・写真デザイン・棒付厚手ボードジャケット入り(当盤)→1959年同一番号・紺/銀音符レーベル・グルーヴガード厚手盤に変更される, 棒付ボードには2種のデザインと共通厚紙の計4種のジャケットが存在(中身は同じ), これはオリジナル・フラット盤が第3版ジャケットに入るケースで1957-8年頃の発売分と思われる, 文字デザイン・棒付厚手ボードと写真デザイン・棒付厚手ボードジャケットには1年もの違いはないと思われる, オイストラフの3回録音中の2回録音, 1947年コンドラシン指揮モスクワ国立po.→当録音→1962年D.オイストラフ指揮ソビエト国立放送so.

商品詳細:1954年英国モノラル録音。あらゆる曲の録音を手掛けたオイストラフの初期の西側録音。彼の場合、西側の指揮者と組んでの英、仏録音の多くは、それまでの彼の特徴を覆すようなノリの良さと積極性が見られ、成功しているケースが多い。録音が多すぎて、評価さえ定めることのできないオイストラフだが、このラロは、中でも良い方だと確信している。弦には粘りがあり、表現も良い。気合が充分に入った熱演!カッサンドルのジャケ、レア!尚この録音はオイストラフ2回目の録音となる。1947年1月1日K.コンドラシン指揮モスクワ国立po.とのMELODIYA録音が最初である。また当J.マルティノン指揮フィルハーモニアo.のあとには、息子のイーゴリのソロ/ソビエト国立放送so.で指揮を執る1962年録音がMELODIYAにある。オイストラフの音と曲が上手くマッチングしたケース。1950年代オイストラフは出稼ぎ部隊とまで揶揄されるほど、西側に出て多くの録音を行ったヴァイオリン奏者であるが、それは西側レーベルが望んだ結果であり、MELODIYAと英/仏EMIの利害が一致した事で多数の録音が行われた。MELODIYAには手数料とMELODIYAプレスの音源が手に入り、英/仏EMIはオイストラフ出演のLPで売り上げを確保できた。リヒテルやギレリスも同様だが、当時の西側レーベルでは旧ソ連のソリストに対する憧れのようなものがあったのだろうか。東西冷戦という環境も拍車をかけた要因だろう。せめて芸術だけは冷戦であって欲しくないという願いがあったはずであろう。オイストラフは1937年の第1回イザイ国際コンクール(現エリザベート王妃国際音楽コンクール)で優勝し、その名を世界に轟かせたものの、鉄のカーテンの影響で実際の演奏を長い間聴く機会がなかった為、待望論が少しずつ大きくなっていった背景が考えられる。1953年3月5日に独裁者のスターリンが亡くなると、ようやく西欧での演奏活動が可能となり、大手のEMIが獲得に乗り出したのは頷ける。ソ連当局も外貨獲得チャンスとばかりに、その3か月後の1953年6月にはパリでコンサートを開催した。米Vanguardはパリへ出張録音を行い、3枚のLPレコードを発売している。1954年2月にはベルリンでDGG用のチャイコフスキーの録音を行っている。1954年6月にはストックホルムでベートーヴェンの録音を行っている。正式にEMIと契約したのはこの録音の1954年の後半だったと思われる。一番良い条件を出したのだろう。したがってEMIは手に入れたオイストラフを使って少しでも多くの録音をしかたったに違いない。以上オイストラフの西側録音について考えてみた。

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