商品コード:1302-039[COLUMBIA] D.オイストラフ(vn) J.マルティノン指揮フィルハーモニアo. / ラロ:スペイン交響曲Op.21
商品コード: 1302-039
商品詳細:1954年英国モノラル録音。あらゆる曲の録音を手掛けたオイストラフの初期の西側録音。彼の場合、西側の指揮者と組んでの英、仏録音の多くは、それまでの彼の特徴を覆すようなノリの良さと積極性が見られ、成功しているケースが多い。録音が多すぎて、評価さえ定めることのできないオイストラフだが、このラロは、中でも良い方だと確信している。弦には粘りがあり、表現も良い。気合が充分に入った熱演!カッサンドルのジャケ、レア!尚この録音はオイストラフ2回目の録音となる。1947年1月1日K.コンドラシン指揮モスクワ国立po.とのMELODIYA録音が最初である。また当J.マルティノン指揮フィルハーモニアo.のあとには、息子のイーゴリのソロ/ソビエト国立放送so.で指揮を執る1962年録音がMELODIYAにある。オイストラフの音と曲が上手くマッチングしたケース。1950年代オイストラフは出稼ぎ部隊とまで揶揄されるほど、西側に出て多くの録音を行ったヴァイオリン奏者であるが、それは西側レーベルが望んだ結果であり、MELODIYAと英/仏EMIの利害が一致した事で多数の録音が行われた。MELODIYAには手数料とMELODIYAプレスの音源が手に入り、英/仏EMIはオイストラフ出演のLPで売り上げを確保できた。リヒテルやギレリスも同様だが、当時の西側レーベルでは旧ソ連のソリストに対する憧れのようなものがあったのだろうか。東西冷戦という環境も拍車をかけた要因だろう。せめて芸術だけは冷戦であって欲しくないという願いがあったはずであろう。オイストラフは1937年の第1回イザイ国際コンクール(現エリザベート王妃国際音楽コンクール)で優勝し、その名を世界に轟かせたものの、鉄のカーテンの影響で実際の演奏を長い間聴く機会がなかった為、待望論が少しずつ大きくなっていった背景が考えられる。1953年3月5日に独裁者のスターリンが亡くなると、ようやく西欧での演奏活動が可能となり、大手のEMIが獲得に乗り出したのは頷ける。ソ連当局も外貨獲得チャンスとばかりに、その3か月後の1953年6月にはパリでコンサートを開催した。米Vanguardはパリへ出張録音を行い、3枚のLPレコードを発売している。1954年2月にはベルリンでDGG用のチャイコフスキーの録音を行っている。1954年6月にはストックホルムでベートーヴェンの録音を行っている。正式にEMIと契約したのはこの録音の1954年の後半だったと思われる。一番良い条件を出したのだろう。したがってEMIは手に入れたオイストラフを使って少しでも多くの録音をしかたったに違いない。以上オイストラフの西側録音について考えてみた。
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