商品コード:1307-007[DECCA] K.リヒター(org) / Orgリサイタル/バッハ:トッカータとフーガニ短調B.565, 幻想曲とフーガB.542, 前奏曲とフーガB.548, パッサカリアとフーガB.582
商品コード: 1307-007
商品詳細:初入荷、K.リヒターのオルガンによるバッハ・オルガン・リサイタル。K.リヒターがソロでOrgを演奏したLPはDGGにまとまってあるが、それ以前のDECCA時代にはCembが多く、Orgは英国で発売された当録音とLXT 5110の2枚と独DECCAのみ発売のSAWD 9915の計3枚と思われる。スイス・ジュネーブ・ヴィクトリアホールでの録音。トーマス教会でラミンの弟子としてバッハに研鑽。自身にとっても修行時代の原点に帰れる曲だろう。職業オルガニストとは異なる歌心がある。オーディオ・ファイル!カール・リヒター(1926- 1981)が職業オルガニストとして活躍したのは、1949年に教会音楽の国家試験に合格して聖トーマス教会のオルガニストに就任したライプツィヒ時代と、1951年聖マルコ教会(ミュンヘン)のオルガニストに就任し、これに伴いミュンヘンに移住、1953年にミュンヘン・バッハ管弦楽団とミュンヘン・バッハ合唱団を設立する僅か数年間である。但し、リヒターの場合、指揮者となってからもレコード会社の求めに応じて、オルガン演奏の録音を残している。1954年、シュッツの Musikalische Exequien「音楽による葬送」を録音し、レコード・デビューを果たした。同年10月、スイスのジュネーヴにあるヴィクトリア・ホールにて、英国DECCAレーベルのために、バッハとフランツ・リストのオルガン作品を録音(恐らく全9曲)。これがリヒター最初のオルガン・ソロ録音となった。1956年にラミンが死去した後、トーマス教会からのカントル就任要請を断り、完全に西ドイツに活動の本拠を移した。ミュンヘン国立音楽大学のオルガン科教授に就任し、ミュンヘン・バッハ管弦楽団および同合唱団を率いてアメリカへの演奏旅行を行った。1958年、ドイツ・グラモフォンの古楽専門レーベルであるアルヒーフでバッハの「マタイ受難曲」を録音。これは今日まで最もよく知られる彼の代表的作品となった。1979年には単身で再来日し、オルガンとチェンバロのリサイタルを開いた。これも一部の公演はCD化されている。このようにリヒターはオルガン奏者という顔を最後まで持ち続けた指揮者である。1954年と言えばミュンヘン・バッハ管弦楽団を創設して間もない時期である。多忙な中でDECCAに残したオルガン演奏は今でもありありと訴え掛けるものを持っている大作といえる。DECCAでは当初モノラル盤2枚で5+4曲に分けて9曲をリリースしたが、1960年に手付かずだったステレオ・テイク~4曲を選んでステレオ発売したLPがこれである。将来を考えて、1954年10月の段階で3チェンネル録音を行っていたことに驚く。プロデューサー:James Walker / Peter Andry / Victor OlofというDECCAの大御所たち3人が関与した一大プログラムであった事を考えると、あり得る話である。ステレオ発売を1枚だけとしたのはカルショウ体制下では理解できる。なお使用したオルガンはヴィクトリア・ホールに備付けの大オルガンである。カヴァイエ・コルの名器と呼ばれた由緒のある楽器。アンセルメ指揮サン・サーンスのルガン交響曲でも使われた。1984年の火災で消失したが1993年に再建された。リヒターはその後ヘンデル・オルガン協奏曲3枚を録音するがそれがDECCAでの最後の録音となった。
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