商品コード:1308-060p[MELODIYA] V.アシュケナージ(pf) / ショパン:24の練習曲Op.10, Op.25, 夜想曲3番Op.9-3, バラード2番Op.38, リスト:メフィスト・ワルツ
商品コード: 1308-060p
商品詳細:1937年ロシアに生れたアシュケナージは、8歳でモスクワでデビュー演奏会を開いたらしいので、メロディア初期に録音があってもおかしくはない。1955年のショパン・コンクールで2位(1位はハラシェヴィチ)。1960年モスクワ音楽院を卒業。これはデビュー録音ではないが、DECCAとは比較にならない勢いがあり、生涯最高レベルの録音の一つではなかろうか。名声を得てからの録音は、これとは何かが違ってしまった。24の練習曲は'59~'60年頃の録音。10"2枚でも練習曲Op.10/25が出ている。こちらはそれに夜想曲とバラードの2曲とリスト1曲を追加した12"×2タイプ。ちなみにこのショパンの追加2曲はマズルカ2曲とカップリングされ10"・D 2592でも単売がある。アシュケナージ若き日のMELODIYA録音。大珍品。勿論モノラル録音。ウラディーミル・アシュケナージ(1937-)はソヴィエト連邦のゴーリキー(現在のニジニ・ノヴゴロド)の音楽家の家庭に生まれた。6歳でピアノを始め、2年後にはモスクワでデビュー演奏会を開いた。9歳の時にモスクワ音楽院附属中央音楽学校に入学し、アナイダ・スンバティアンに師事した。直接の師はオボーリンで系譜ではイグムノフ一派となる。1955年には18歳でワルシャワで開催されたショパン国際ピアノ・コンクールに出場し、2位に輝いた(優勝はアダム・ハラシェヴィチ)。この時にアシュケナージが優勝を逃したことに納得できなかったアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリが審査員を降板する騒動を起こしたことはよく知られている。この年にモスクワ音楽院に入学、レフ・オボーリンやボリス・ゼムリャンスキーに師事した。翌1956年にはエリザベート王妃国際音楽コンクールに出場して優勝を果たし、これを機にヨーロッパ各国や北米を演奏旅行してセンセーショナルな成功を収めた。EMIやメロディアからレコードも発売され、音楽院在学中から国際的な名声を確立した。アシュケナージがロシアン・スクール生であったことはすっかり忘れられているがオボーリンの生徒だった。早い時期に西側に出たのでMELODIYA録音は多くない。中でもショパンの24の練習曲が代表作となる。正式な初出は10"×2枚でД 6035-8でリリースされ、24の練習曲だけのリリースだった。録音は1959-60年で1960年にリリースされた。同年、1955年のショパン・コンクールでの録音でMUZAとMELODIYAから発売された10"から2曲(夜想曲3番Op.9-3+バラード2番Op.38)、更に1957年ベルリンで録音されたリスト:メフィスト・ワルツの3曲を追加して発売したのが当12"×2枚である。10"同様2枚連番で2枚揃って初めて完結するようになっているLPである。10"×2枚は過去に何度か入荷があったが12"×2枚は初入荷の希少番号!DECCA録音しか知らない方にとってMELODIYA録音は驚愕の内容と思われる。アシュケナージは確かにロシアン・スクール生であった事を確かに証明する内容といえる。
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