[DECCA] J.カッチェン(pf) A.アルヘンタ指揮ロンドンpo. / リスト:Pf協奏曲1番, Pf協奏曲2番

[ 1308-056 ] Liszt, Katchen, London Philharmonic Orchestra ∙ Argenta – Piano Concertos Nos. 1 And 2

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商品コード: 1308-056

作品名:リスト:Pf協奏曲1番変ホ長調 S.124/R.455 | Pf協奏曲第2番イ長調 S.125/R.456
演奏者:J.カッチェン(pf)A.アルヘンタ指揮ロンドンpo.
プレス国:フランス, France
レーベル:DECCA
レコード番号:LXT 5330
M/S:モノラル, monaural
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:7
評価/ジャケット:A
キズ情報:A面6時に小3回出る点あり→7
レーベルタイプ:【フランスでのオリジナル】---橙/銀外溝, 10時に破線〇 LONG PLAYNG 33 1/3 RPM, 2時にffrr耳マーク, 12時方向にMade in France(横銀文字), フラット重量, 表記されたレコード番号:LXT 5330, Rights Society:記載なし, (P)なし, Price Code:Ⓐ, スタンパー/マトリクス:ARL-3523-3A/CA ARL-3524-1A (ストレート小文字スタンパー・DECCAタイプ), DECCA録音モノラル製造を示すARL/CA ARL***で始まりレコード番号を含まない専用マトリクス使用, カッティング担当:イニシャルAはGuy Fletcher(ガイ・フレッチャー)の担当を指す, 補助マトリクス(3時):フランス盤にはない, 再補助マトリクス(9時):51/17, 1950年代スタンパーによる1957年頃製造分, 旧番号/10"存在せず, 橙/銀外溝レーベル・フラット盤のフランス最初期分, 橙/金外溝レーベル存在せず, フランスでこれより古いレーベルは存在せず, フランスでの最古レーベル・最厚プレスである, 更に古いマトリクス存在するか不明, カッティング担当の前任者:なし, ステレオ存在する, RIAAカーヴであるか不明, 英DECCA音源の仏DECCA製作プレス, 工場:Studios De La Société Française du Son Paris., フランスでのオリジナル, original for mono in Fr.
ジャケット:【フランスでのオリジナル】---折返表コートペラ, 2時に黒ベース〇6角□ DECCA RECORDS(白文字), 表記されたジャケット番号:LXT 5330, Price Code:Artistique, 背文字:なし(初期の証拠), (P)(C)なし, ジャケ裏年号:なし, 当社入荷履歴上で最古の年号/存在が確認された年号:不明(年号記載ないがフランスでは当ジャケットであると思われる), 製作:Disques Decca. Paris., 印刷:記載なし・フランス製, 旧デザイン存在せず, これより古いジャケット存在せず, フランスでのオリジナル, original for mono in Fr.
トピックス:1957年1月3-4日ロンドン・Kingsway Hall・でのモノラル/ステレオ録音, 録音詳細不明, 英国では1957年The Decca Record Company Limited. London, によりコピーライト登録・同年DECCAからモノラル:LXT 5330(銀外溝レーベル・フラット盤・ラウンド折返両面コートホタテ貝ジャケット入り)にて初リリース・1958年ステレオ: SXL 2097(ED1レーベル)にて初リリース, フランスでは1957年頃仏DECCAからモノラル:LXT 5330(当装丁)にて初リリース・ステレオは1959年頃SXL 2097(黒/銀大デッカ外溝レーベル)にて初リリースと思われる, これはフランスでの初年度リリース分モノラル・オリジナル

商品詳細:SXLも存在。J.カッチェン(pf)A.アルヘンタ指揮ロンドンpo.によるリスト:Pf協奏曲1・2番。ブラームス・Pf作品をはじめ'60年代よりDECCAに録音を残すカッチェン。ブラームスの協奏曲と同様、その素晴らしい技術による演奏はこのリストでも聴く事ができる。素晴らしい指揮者の多いDECCA社、ケルテス、アンセルメ、マーク等との共演があるが当盤ではアルヘンタが振る。ロンドンpo.の響きとカッチェンのピアノにより、リストの音楽が蘇る。ジュリアス・カッチェン(1926-1969)は米国ニュージャージー州ロング・ブランチ出身。14歳になるまで、モスクワ音楽院やワルシャワ音楽院の教師であったユダヤ系の祖父母に音楽を学ぶ。祖父も音楽理論の教授である音楽一家に育つ。10歳でモーツァルトのピアノ協奏曲第20番ニ短調(全3楽章/K.466)を弾いてデビュー。その演奏を聴いていたオーマンディに招かれ、ニューヨークでフィラデルフィア管弦楽団と共演する。NYタイムズはカッチェンの演奏について「11歳の少年にこれ以上望むことはできないだろう。」と賞賛した。12歳の時には、ニューヨークのタウンホールで初のリサイタルを行い、天才少年として全米で知られるようになった。1939年7月には、Lewisohn StadiumでEfrem Kurtz指揮ニューヨーク・フィルハーモニックとシューマンの「ピアノ協奏曲」を演奏した。ハヴァーフォード・カレッジに進学して哲学を専攻、1946年に、在籍わずか3年で首席で卒業した。米国時代はほぼ独学でピアノをマスターしている。それからパリに行き、ユネスコ国際フェスティバルにアメリカ合衆国代表として出席、フランス国立放送管弦楽団とベートーヴェンのピアノ協奏曲を共演した。その後はパリに永住することを決意。カッチェンはその後米国に戻らなかった。1950-60年代には欧州/英国で精力的にコンサートを行っている。弟子はほとんどとらなかったが唯一の弟子と言われているのが、パスカル・ロジェで、およそ2年間カッチェンの下で学んでいる。ジャン=ピエール・マルティも実はカッチェンの弟子だったと言われている。カッチェンの技巧は素晴らしく、chrome-plated(クロムメッキ)といわれ、瞬発力とスピード感は誰も太刀打ちできないほど冴えてたといわれる。30代後期からブラームスの音楽にのめり込み、ついには1965年にDECCAに初のブラームス:ピアノ・ソロ作品全集を録音した。しかし1968年には既に肺癌に侵されていて、1969年春、わずか42歳で帰らぬ人となった。DECCAに多くの録音を残したが1940年代後期からのモノラル期に多くの素晴らしい録音が集中している。この録音はカッチェンの技巧と音楽性の見事なバランスを理解できる格好の録音である。アルヘンタ指揮ロンドンpo.のオケも見事であり、曲の好みはあろうともカッチェンに興味のある方には必聴の1枚といえる。バックハウス、カーゾンらとの大きな違いは彼の持つの独特ののめり込みではないかと感じる。それが技巧やスピードとなって表れるのだろう。

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