商品コード:1308-013p[Archiv Produktion] W.シュナイダーハン(vn) R.バウムガルトナー(vn)指揮ルツェルン音楽祭弦楽o. / バッハ:Vn協奏曲集/Vn協奏曲1番B.1041, 2番B.1042, 2Vn協奏曲B.1043
商品コード: 1308-013p
商品詳細:1956~57年に録音された最初のバッハ。数年前からDGGはバロック部門ARCHIVを本体から分離し、研究カテゴリーを分けて、かなり意欲的にバロック作品を網羅した録音をスタート。バッハには特に力を入れ、その大きな柱と言うべきVn協にはDGGの看板ヴァイオリニスト、シュナイダーハンが起用された。アクセントをはっきりつけたソロは、格式と優雅さを持ち、ルツェルン祝祭o.も自信を持った響き。演奏家達の大仕事に向かって船出した心意気が伝わる名演。ヴォルフガング・シュナイダーハン( 1915 - 2002)はウィーンで生まれのヴァイオリン奏者。1933年から1937年までウィーン交響楽団のコンサートマスターを務めたが、1937年からは、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団にコンサートマスターとなる。シュナイダーハンの実力は折り紙つきであったため、入団試験は行われなかった。ナチスによって、第1コンサートマスターであったアルノルト・ロゼがロンドンへ亡命せざるを得なくなったため、1938年に第1コンサートマスターに就任した。1949年にソリストとして独立するためにウィーン・フィルを退団。1956年、ルドルフ・バウムガルトナーとともにルツェルン音楽祭弦楽合奏団(Lucerne Festival Strings)を創設したルツェルン音楽祭のためのアンサンブルとして結成された。当時から「クーレンカンプの後継者といえたのはウィーン出身のヴォルフガング・シュナイダーハンだけだろう」といわれていた。兄はウィーン交響楽団のコンサートマスターを務めたワルター・シュナイダーハン。妻のソプラノ歌手、イルムガルト・ゼーフリートとは1988年に死別。これはルツェルン音楽祭弦楽合奏団結成後の初の正式スタジオ録音となった。ルツェルン音楽祭弦楽合奏団は1973年までドイツ・グラモフォンと独占契約を結ぶ。これは国際的に高い評価を得ていた。1998年 - バウムガルトナーと交代する形でアキム・フィードラーが音楽監督に就任した。現在も存在している。2012年 - フィードラーと交代する形で、ダニエル・ドッズが音楽監督に就任した。尚日本語訳では Festival Strings Lucerneをルツェルン祝祭o.と表記してきたがルツェルン音楽祭弦楽o.で統一することとした。理由は1938年に発足したルツェルン祝祭管弦楽団(Lucerne Festival Orchestra)という名称のオケが存在し、当初トスカニーニが指揮をしていた。こちらも「ルツェルン音楽祭・夏の音楽祭」のために臨時編成されるオーケストラ。2003年にクラウディオ・アバドがオーケストラの芸術監督に就任した。2016年以降はリッカルド・シャイーが音楽監督を務める。この2つオケは同じ目的で作られたが、設立経緯が異なり、メンバーも異なると思われる。古くはリパッティ/カラヤンがモーツァルトなどを録音している。ルツェルン音楽祭は1910年代から続く、スイスのルツェルンにおいて、毎年行われる音楽祭である。春のイースター音楽祭 “OSTERN"、夏の音楽祭 “SOMMER"、秋のピアノ音楽祭 “PIANO"という3つの音楽祭が開催されている。ルツェルン祝祭管弦楽団(ルツェルン祝祭o.)の方が歴史が古い音楽祭のレジデント・オーケストラとして組織された。ルツェルン音楽祭弦楽合奏団(ルツェルン音楽祭o)は管楽器が入らない常設の弦楽室内オーケストラで長期間にわたってルツェルン音楽大学と深い関係性を持ちつつ、「アンサンブル・イン・レジデンス」として活動してきた。両者は3つあるカテゴリーで住み分けて活動していると考えられる。
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