[DGG] 小澤征爾指揮サンフランシスコso. / ガーシュウィン:パリのアメリカ人, L.バーンスタイン:「ウェスト・サイド・ストーリー」~シンフォニック・ダンス

[ 1309-041 ] Gershwin, Bernstein, Seiji Ozawa ‎– An American In Paris / West Side Story: Symphonic Dances

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商品コード: 1309-041

作品名:ガーシュウィン:交響詩「パリのアメリカ人」 | L.バーンスタイン:ミュージカル「ウェスト・サイド・ストーリー」~シンフォニック・ダンス(全9曲・組曲の一種)--1.Prologue--2.Somewhere--3.Scherzo--4.Mambo--5.Cha-cha--6.Meeting Scene--7.Cool Fugue--8.Rumble--9.Finale
演奏者:小澤征爾指揮サンフランシスコso.
プレス国:フランス, France
レーベル:DGG
レコード番号:2531 355
M/S:ステレオ, stereo
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:8/6
評価/ジャケット:A
キズ情報:B面4時に微かに数回感じる7mmの軽スレあり→7, 7時に極小数回感じる4mmの軽スレあり→6
レーベルタイプ:【フランスでのカップリング替えLPの初出】----青2本線狭内溝, 枠内3時にST33, ブルーライン, 7時にTous Droits, グルーヴガード, Rights Society:SACEM, (P)1977/1973, スタンパー/マトリクス:2530 788=2 S2 320/ POLYGRAM LM/2531 355 2530 309 S2=4 320 POlYGRAM LM (ラウンド小文字スタンパー・仏DGGタイプ), DGGステレオ製造を示す25***で始まりドイツのレコード番号を含む専用マトリクス使用, 320は1972年7月以降のTime Codeで320に統一されたことをを示す, POlYGRAM LMはPhonogram International B.V. グループ製造を示す, 補助マトリクス:3C 1 8/C7 1C 1, 再補助マトリクス:なし, 1972年7月以降製造のスタンパーによる1981年製造分, 曲ごとに異なる旧番号存在する, チューリップレーベル存在せず, 当番号にこれより古いレーベル存在せず, 更に古いマトリクス存在すると思われる, モノラル存在せず, RIAAカーヴである, DGG音源の仏DGG製作プレス, 工場:CIDIS:CIDIS.Phonogram, Antony, カップリング替えLPのフランスでのオリジナル, re issue
ジャケット:【フランスでのカップリング替えLPの初出】----見開両面ツヤ背黄, 中央窓にCollection Prestige, 表記されたジャケット番号:2531 355, Price Code:POL 380, 裏薄クリーム, 背文字:あり(黒色・黄背景), (P)1973/1977(C)1981, ジャケ裏年号:なし, 当社入荷履歴上で最古の年号/存在が確認された年号:不明(年号記載ないがフランスでの当番号では当ジャケットである), 製作:Deutsche Grammophon Fr., 印刷:Imp. Glory. Asnieres, 曲ごとに異なる旧番号存在する, 再版だがカップリング替えLPのフランスでのオリジナル, re issue
トピックス:【入荷2度目の希少盤!】----パリのアメリカ人:1976年5月・録音技師:Karl-August Naegler/ウエストサイド・ストーリー:1972年6月・録音技師:Jack Hunt, 2曲ともサンフランシスコでのステレオ録音, プロデューサー(録音監督兼任):Thomas Mowrey, 小澤の師であるバーンスタインへのオマージュでカップリング替えLP, 初出番号はパリのアメリカ人:2530 788(+ルッソ:ストリート・ミュージック)/ウエストサイド・ストーリー:2530 309(+ルッソ:ブルースバンドとOrchのための3つの小品Op.50), 当番号は1981年に新たに当2曲がカップリングされ「カップリング替えLP」として2531 355(当装丁)にて初リリースされたフランスでの初出, 入荷2度目の希少盤

商品詳細:小澤が師と仰ぐバーンスタインへのオマージュとして「ウエスト・サイド・ストーリー」~シンフォニック・ダンスを録音したのが1972年。ルッソの作品「ブルースバンドとOrchのための3つの小品Op.50」とカップリングされ1973年に2530 309で発売。その後1976年、「パリのアメリカ人」が録音され、ルッソの別の作品「ストリート・ミュージック」とカップリングされて1977年に2530 788にて発売。どうもこのルッソとのカップリングが営業上好ましくないとの判断があったのだろう。1981年、ガーシュウィン:パリのアメリカ人、L.バーンスタイン:「ウェスト・サイド・ストーリー」~シンフォニック・ダンスの2曲をカップリングし、小澤のアメリカ作品集として2531 355で出し直したのが当LPである。オリジナルではないが、大半の日本人にとってジェフ・ルッソ(1969-)は全く興味の持てない曲だろう。これには正当な理由がある。ルッソ:「3つの小品」は小澤自身の発案によって作曲されラヴィニア音楽祭のための委嘱作品。ルッソ:「ストリート・ミュージック」はアメリカ建国200年の1975年にサンフランシスコ響の委嘱によって作曲された協奏曲。何方も小澤が要望して出来た作品なのである。しかしビジネス的には成功せず、せっかくのガーシュウィンとL.バーンスタインの曲の魅力が半減してしまったように感じたファンが多かったのではないだろうか?。小澤としては是非ルッソの作品を知ってもらおうと、思い切った録音に望んだが成功はしなかったようである。1981年と少し遅れたがルッソを省いたこの2曲のカップリングは良いのではないだろうか。全2枚もアメリカ作品集として出されたが、新カップリングこそ、一般の人には「アメリカ作品集」としてピントくる1枚だろう。思いのほか録音は良くパンチのある厚い音がぐんぐんと迫る1枚となっている。再版だが音質的な不満は一切皆無。小澤 征爾が亡くなったニュースが報じられた。2024年〈令和6年〉2月6日に東京都内の自宅で心不全のため88歳で死去。訃報は9日に所属事務所から報じられた。大きなニュースとなった。以降小澤 征爾は世界的指揮者として神格化されてゆくだろう。なお「ウェスト・サイド・ストーリー」のシンフォニック・ダンスとは、劇中にそう呼ばれる部分があるわけではない。ミュージカルの中のダンスナンバーを中心にオーケストラのための演奏会用組曲を作り、シンフォニック・ダンスと名付けた。つまり「ウェスト・サイド・ストーリー」の組曲ヴァージョンである。実際にミュージカルで全曲を演奏するのは非常に時間と舞台設備が掛かる。オーケストラの主要なレパートリーにしてもらうために演奏会用組曲を用意したということである。何故組曲「ウェスト・サイド・ストーリー」としなかったか?通常組曲は舞台音楽(劇付随音楽、オペラ、バレエ音楽など)の中から、主要曲を抜き出して配列して演奏会で演奏できるようにした管弦楽曲を組曲と呼ぶようになった。しかしミュージカルの場合その限りではない。その為「組曲」とせず「ウエスト・サイド・ストーリー」の場合において同様の意味を成す「シンフォニック・ダンス」としたのではないかと思われる。

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